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昔話シリーズ3 馬鹿の鏡 藤田浩子編

昔話シリーズ3 馬鹿の鏡 藤田浩子編

藤田浩子編著 小林恭子絵
ISBN978-4-87077-189-5
四六判 168頁+カラー口絵8頁
本体1300円+税
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ご感想

面白い、生きる知恵が一杯で何度読んでも味わい深い、
と大好評の「昔話シリーズ」の第3巻。


世間様に笑われる!お天道様に申し訳ない
早合点・勘違い、自分の頭で考えない・・・馬鹿息子・馬鹿婿が繰り返す「常識はずれの失敗」を鏡にして、世間・社会を学ぶ26話。面白くタメになる。

強い者の無理難題を切り抜けるお話いろいろ
馬鹿息子話
  からすのいる所・柿の見張り番・ちゃぁっくりかきす・傘をさす・傘屋奉公・どっちが遠い・うれしいこと・ふんどぉし・釜敷き・親孝行・蚊帳・切れたうどん・旅学問・かわむいて・挨拶・さようの首・親父を焼く・若水
馬鹿婿話
  大根風呂・おったて屏風・だんごどっこいしょ・半殺し・そばがき
ひとのふり見て
  芋ころりん・ことしゃみせん・においの当人


昔の農具・台所用品、閻魔に天狗など、昔話に不可欠なものをカラー絵で説明。「子どもに説明するときに便利」と反響。
(右のイラストは、本書掲載口絵の一部です)
昔の暮らし・道具がよくわかる カラー口絵
                      
私が子どものころ、道徳の規準は「世間様に笑われないように」と、もうひとつは「お天道様に恥じないように」ということでした。私は「そんなことをすると世間様に笑われる」とか「ひと様に笑われないように」と言われ言われ育ったのです。そして叱られるときは「世間様に顔向けできないだろう」「お天道様に恥ずかしいと思わないのか」と言って叱られました。「お天道様に恥じないように」というのも結局は「世間様に恥じないように」ということで、人として恥ずかしくない生き方をしろということでした。「笑われないように」「恥ずかしくないように」これは一見周りの目ばかり気にして、自分という存在を軽くしているように思われるかもしれませんが、そうではありません。人とかかわって生きていくには、人とつながって生きていくには、そこにおのずとルールができ、枠ができてくるでしょう。その枠からはずれると、笑われたり、恥をかいたりするのです。なにをもって恥とするか、個人的には多少違うとしても「世間様」という枠を知っておけば生きやすかったのです。

今回は「世間様に笑われないように」生きていくにはどうすればいいのか、どういう人が笑われて、どうすれば笑われないですむのか、そのあたりの知恵がたっぷり詰まった話を紹介させていただきます。世間様に笑われるようなことをあれこれしでかしてくれるのが「馬鹿息子」や「馬鹿婿」「馬鹿嫁」ですから、こういうことをすると世間様に笑われるという「見本」を次々と示してくれます。「見本」を参考にしながら「見本」を鏡としながら、自分のことも考えたいと思っています。

さて「馬鹿息子」はなぜ馬鹿なのでしょう。言われた通りに行動する素直な息子なのに、どうして笑われてしまうのでしょう。それは自分で考えることをしないからです。時と場所を考えないからです。「場」が読めないからです。要求されていることがわかっていないからです。この場合の「馬鹿」というのは「相手の伝えようとしていることを推察できない人」ということになるでしょうか。一人前の大人は、数少ない言葉からでも、相手の伝えたいことを推察しなくてはいけないのです。推察できないのは「馬鹿」なのです。私は馬鹿息子の話を聞きながら、げらげら笑い、なんて馬鹿な息子なのだろう、私はこんなことしないもんね、と高見の見物気分で聞いてきました。でも本当に高見の見物ができる立場でしょうか。私たちに馬鹿息子を笑う資格があるのでしょうか。 

今世間様に笑われることを恥と思わない人が増えてきました。それなら「世間」という枠を超えて、自由に自分らしい生き方をしているかと言えば、そうでもありません。世間という枠をはずした代わりに、テレビが作り出してくれる、権威という枠や流行という枠に自分をはめこみます。自分で考えないという意味では馬鹿息子と全く同じです。いえ「世間様」という枠は私たちのためにありましたけれど、テレビが作り出す枠は企業や為政者のためのものですから、もっと馬鹿です。

ところで馬鹿息子話を聞いて「馬鹿息子も馬鹿だけど、お父さんも悪いよ、だって言い方が親切じゃないもん」と言った子がいました。確かに、カラスのいる所まで耕せと言われて、飛んでいくカラスを追いかけて耕していく息子も息子ですが、「カラスのいる所」などという不安定な場所を示した父親も現代風に考えれば、説明不足で責められるかもしれません。でも昔話ではカラスのいる所までと言った父親は責めません。言われたことを考えなしに実行した息子が笑われるのです。「1を言ったら10を知れ」というのが昔の教えでした。「水」と言われたら、言われた方が判断しろというのです。筆を持っている人に「水」と言われたら硯に入れるだけの水でいいし、暑い外から帰ってきた人に「水」と言われたら飲む水を、植木鉢のそばにいる人に「水」と言われたらじょうろにいれて、たき火をしている人に言われたらバケにいれて持っていく、それが気の利いた人間のすることでした。相手の言いたいことを察して相手の要求に的確に応えよ、というのが昔流の教えで、それができないのは「馬鹿」だったのです。1から10まで言わないとわからない奴は馬鹿といわれても仕方がなかったのです。 私が初めての子を入学させたとき、先輩のお母さんが教えてくれました。先生に「お宅のお子さんは元気ですねぇ」って言われたら、それは乱暴っていうことかもしれないし、落ち着きがないっていうことかもしれないよ、「お宅のお子さんはおとなしいですねぇ」って言われたら、それは愚図だっていうことかもしれないし、意欲がないっていうことかもしれないよ、と。確かにそういう気持ちで先生の話を伺っていると、先生がおっしゃる言葉と言葉の間のことも想像できるのです。小説を読んでいても私たちは行間からいろいろなことを読みとっています。話していても相手の言葉と言葉の間を想像することで、本当に相手が私に伝えたいことは何だろうと考えることができます。そして日本には以心伝心という言葉がありました。今はどちらかと言うと「水」と言ったほうが責められます。飲む水か植木にやる水か、きちんと言わなきゃわからないでしょ、という考え方です。

 ところで「馬鹿」(関西ではアホでしょうか)という言葉ですけれど、表向きの教育界から「馬鹿」という言葉が消えて久しいことです。私も幼稚園や保育園では「馬鹿」という言葉は使わないほうがいいと思っていました。けれどきれいごとだけで済ませようとする教育の世界に、もっと本音をもちこんだほうがいいのかなと思えてきたのです。「馬鹿」という言葉に対してもっと免疫をつけておくことも大事ではないでしょうか。子ども同士で「バカ!」「バカっていうやつバカバカさ!」「そういうお前はバカバカバカ!」とやりあったり、モーツアルトのアイネクライネナハトムジークの曲にのせて「バーカカーバドジマヌケ」「マーヌケはお前だべ」「そういうお前はバカだーバカだ」「お前こそがバカだーバカだ」とやりあう、その雰囲気をなくしてはいけないと思うようになったのです。

 馬鹿話の主人公を反面教師にしながら、人と人が上手にかかわっていくための知恵や技術を学んでいきましょう。 


昔話シリーズ1
「化かす騙す」
化かす騙す 藤田浩子編
日本図書館協会選定図書
藤田浩子編著 小林恭子絵
ISBN978-4-87077-187-1
四六判 168頁+カラー口絵8頁
本体1300円+税
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昔話シリーズ2
「機転を利かす」
昔話シリーズ2「機転を利かす」

藤田浩子編著 小林恭子絵
ISBN978-4-87077-188-8
四六判 168頁+カラー口絵8頁
本体1300円+税
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「遠藤登志子の語り
- 福島の民話」
遠藤登志子の語り
吉沢和夫&藤田浩子編
ISBN4-87077-140-6
四六判上製 564頁
本体3398円+税
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ご感想が寄せられています。


語りの題材を探していて、この本を見つけました。
藤田浩子さんの語りを聞いたときは、本当に感動して、自分も藤田さんのようになりたい、語りたい、と本を探していました。 この本のどの話も本当におもしろく、中でも「親父を焼く」を小学校4・5年生に語ったところ、大笑いしてくれました。
(山口県山陽小野田市・女性・36歳)

・ 藤田浩子さんの本は、共感しながら読める。
(秋田県・男性・70歳)

・ むかしのこばなしは、5分もあれば読みきかせができましたし、子どもたちもとっても喜んでおりました。私は元養護施設の保母をしておりましたので、勉強の時間、学校の宿題を終わらせると、いろんなものをよく読み聞かせをしていました。知恵がつまっていて、気が利いてよいものです。





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