私たちは、平和安全法制等という名の「戦争法」に断固として反対します!

現在国会で審議されている戦争法。この法案が万一成立したとしても、廃止のために私たちは今後とも声を上げ続け、行動し続けます。
(昨年7月の閣議決定以来、私たちは反対を主張し続け、様々な集会に参加し、駅で宣伝し続けてきました)

(私たち出版人は、先の戦争で軍部・政府に協力し、大本営発表を垂れ流し、お互いを監視する社会を作り、空襲の際は逃げたら罰する・消火に当たれ・恐れるな!と言い、子どもたちには「日本の兵隊さん達は世界一強く、優しい」「中国人は卑劣だ」と宣伝して子どもを戦場に送り込んできました。その反省は、心臓から血が出るほどの痛苦のモノだったはず。私たち出版人には、特別の責務があるのです。戦争・戦時体制の下で自由な出版などできません。政府のご機嫌をうかがい、首相や大臣や自衛隊幹部を歯が浮くほど誉め讃え、相手国をこき下ろし差別を煽るような出版しかできなくなるのです。どのような立場の本を出すとしても(それがたとえ安倍首相のヨイショ本であったとしても)、今回の戦争法に反対せざるを得ない。それが出版に携わる者としての当然の覚悟だと信じています)。

この法案は憲法違反であり、憲法違反の法律制定を黙認することは、主権者としての義務を放棄することだと考えます。これが第1点。
圧倒的多数の憲法学者・日本弁護士連合会・内閣法制局長官経験者たちが揃って「憲法違反」と指摘しています。憲法違反の法律はそもそも無効です。
(第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。)
憲法違反の法案に『対案』などありえません。対案そのものが憲法違反になるからです。もし対案を出すのならば、憲法違反でない法案を提出する必要があり、それは今回の法案とは全く別物であって『対案』にはならない、新規立法になります。

憲法に違反していても構わない―これが現政権の考えです。礒崎首相補佐官はこの点で本音を漏らしました。
「法的安定性なんて関係ない」
驚くべき暴言です。国会議員・政府そのものが、憲法によって定められた存在なのです。
 「立憲主義という言葉は知らない」とも礒崎首相補佐官は言いました。彼のこれらの発言が現政権の考えに沿っていることは、未だに職を解かれないことを見ても明らかです。

 彼らにとって、憲法に則って政治を行うという発想はないようです。

立憲主義を否定するとどうなるでしょう?
そもそも近代国家が立憲主義をとるようになったのは、歴史的に絶対王政の否定からです。王様(皇帝・天皇など)は神からその絶対的権利を与えられたとする王権神授説もありました。絶対的な個人(またはその取り巻き)が権力を一手に引き受ける―という政治体制は、近代になる過程で否定されたのです。現在、世界中の国家は、たとえ王様や皇帝がいたとしても、立憲主義の体裁をとっている国がほとんどです。
立憲主義を否定するのは、前近代に戻ると言うことです。世界の笑いものになるでしょう。
 立憲主義を否定するということは、政府・権力は何物にも縛られない、フリーハンドを手に入れると言うことです。国の最高法規である憲法さえ無視していいのですから。
 政府の暴走を止める法的根拠はなくなります。何をしても許されます。
 これを独裁と言わずして何と呼ぶのでしょうか?

 それを許すのかどうか―が、今国民一人一人に問われているのです。



2に、法案の提出方法そのものが民主主義の否定です。

まず最初に、2014年7月1日の『集団的自衛権容認の閣議決定』というやりかたそのものが憲法の否定であり、民主主義の否定です。
閣議は何を決めてもいいわけではありません。最高法規である憲法に即することは当たり前のこと。選挙で公約した国民からの負託に沿うことももちろんです。ここで付言するなら、公約も何を言っても構わないわけではありません。たとえば「選挙に勝てば、明日から戦争を始めます」と現憲法下で公約することなどできません。

しかも、安倍自民党・公明党政権は、総選挙で戦争法を定めますと公約さえしていない。アベノミクスだけを争点にしたのですから。

この法案は、大きく分けて2つの法案からできています。一方の平和安全法制は、10本もの法律を一括りにしてまとめて審議させるのです。この方法そのものが独裁です。
なぜなら、この方法が正しいとするなら、ありとあらゆる法案の審議の中身が国民に全く分からなくなり、国会審議は形骸化するからです。
たとえば、こんな例を考えてみましょう。生涯派遣労働者にする労働法制の改悪も、奨学金制度の一層のサラ金化も、学生アルバイトのブラック労働化助長も、国公立大学の学費一層の値上げも、全部一つにまとめて、『青少年保護支援法』という法案を提出することも可能です。みんな、青少年の生活に深い関係があるから。

すると、どうなりますか? それぞれの法改悪で、学生や青年労働者の働く・学ぶ環境がどのように変わってしまうのか、問題点はなんなのか―国民は分からないままに粛々と法案成立を受け入れるだけになります。もちろん、安倍政権はそれを狙っているのです。


10本もの法律をひっくるめて審議すると、国会審議時間を大幅に短くできます。
主権者は国民です。国会議員は主権者国民の代理人でしかありません。代理人が主権者を代表して国権の最高機関である国会の場で審議しているのです。審議の過程を国民にオープンにして、国民自身がその法案の良い点・悪い点を認識し、違った考え方に触れ、別の角度から眺め、最終的に採決されるのです。
10本もの法律改正を1つにまとめてしまおうという発想は、近代の民主主義の基本さえ認識していない、封建的絶対王政もしくは独裁体制だと言わざるをえません。
現政権は法案提出の最初から「衆議院で80時間」などと時間を区切り、「予定の審議時間を大幅にオーバーしたから」と衆議院で強行採決しました。参議院の審議中にもかかわらず、安倍首相は「最後は多数決で決めるのが民主主義」と強行採決を匂わせています。

そもそも1本1本の法案審議を丁寧に行い、時間をかけるべきなのです。そうでなければ主権者国民には法案の中身も、ましてや問題点もわからないからです。

さて、ここで質問です。
『平和安全法制の10本の法案を全部答えられますか?』
これを答えられる国民は、ほんの一握りでしょう。国民が、改正される個別の法案の名前さえ知らないまま、無理やりにでも通そうとしているのです。

10本の法律の中には、「特定公共施設利用法」や「捕虜取扱い法」もあります。皆さんのご近所にある公共施設が、「いざ有事」となればどのように国に接収されるのか―この法案でどのように規定されていますか? 捕虜をどう扱うと言っていますか? 今国会の審議過程でこれらは明らかになりましたか? 
この法案は、審議十分どころか、まだ中身の審議(10本の法律の中身)にさえ入っていないのです。入り口で止まっているのです。その責任は、こんな乱暴な法案提出をした政府・与党(自民党・公明党)にあります。


第3に、集団的自衛権は現憲法では認められません!

「日本には個別的自衛権はあるが、集団的自衛権は認められない」というのが、歴代の自民党政府自身や内閣法制局自身が言い続けてきたことです。
色々屁理屈を並べたてても、この事実は消せない。
国際環境の変化―とよく言います。巷間でも「中国の脅威に対抗するため」と言う人がいます。では聞きますが、冷戦時代のソ連と今の中国と比べて、中国の方がより危険だという根拠なんでしょう? 
ソ連は大韓航空機を撃墜しているんですよ。民間機を(1983年9月1日)。日本人も28名が亡くなっているんですよ。
北方領土という名の日本の領土を占領しているんですよ、現に今も。
中国はまだアメリカと肩を並べるほどの軍事大国とはまでは言えない。ソ連は、アメリカに対抗して軍拡競争・核開発競争をし、自分のブロックを持っていた存在。日本も実際に被害に遭っていた危ないソ連があった時代に、「集団的自衛権は認められない」と言い続けてきた自民党と、閣議決定だけで集団的自衛権を認めようという今の安倍内閣(自民党・公明党)とを比べてみればよいのです。安倍首相らは、自らの党の先輩たちや歴代の内閣法制局を全否定するのですか? 
もちろん全否定したいからこそ「法的安定性なんて関係ない」と言うのでしょう。
しかし、法的安定制を否定することは、独裁になると言う宣言です。今までの諸先輩方の議論の積み重ねも定められた法律も憲法よりも、今やりたいことが最優先する。

 「私が国家だ。私がルールだ」というのが、現政権の姿です(「朕は国家なり」ルイ14世を想起します)。

そもそも戦争法を応援する方たちは、個別的自衛権と集団的自衛権の区別さえついていない方がかなり多い。
駅前で宣伝していても、「日本が中国に攻められたらどうするんだ!」と怒鳴る方がいる。
日本が他国から侵略された時に対処するのは「個別的自衛権」です。これは「認められる」と自民党も言い続けてきたのです。この権利についてもいろいろ議論はありますが、今の法案では全く問題にも論点にもなっていない。

 個別的自衛権との混同は、政府側が法案を通すために意図的に為していると見ざるを得ません。


「米軍の力を借りるためには、集団的自衛権を認めるべき」という方もいます。
そもそも日米安保条約では次のように規定されています。
「第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」
そして米軍の参戦は集団的自衛権の行使ではない。個別的自衛権の発動だ―と説明し続けてきたわけです。
どちらにしろ、現在日米安保条約を改定する議論が国会でなされているわけではない。安倍内閣が戦争法を制定しようとすまいと、安保を改定しない限りアメリカの立場や役割に変化などないのです。法的安定性の上に立てば。
つまり、米軍云々の宣伝も、「ためにする」議論だということです。


そもそも集団的自衛権とは何か?

戦前の日独伊軍事同盟を想起してください。第一次世界大戦、第二次世界大戦はなぜ起こったのか?―学校で習いませんでしたか?

第一世界大戦後に国際連盟が、第二次世界大戦後に国際連合がなぜできたか―習いませんでしたか?
対立する軍事同盟を結び、それぞれを仮想敵国として戦争準備を進め、同盟国への攻撃は自国への攻撃とみなして参戦する。第一次世界大戦は、セルビアでの一発の銃声(サラエボ事件:1914年6月)から、世界戦争へと発展したのです(両陣営あわせて1000万人が戦死、2000万人が負傷、行方不明800万人)。第二次世界大戦では、諸説ありますが、軍人の死者2500万人、民間人の死者4000万人を数えました。
ある小さなきっかけで、世界中を巻き込む大戦争に発展してしまう―だからこそ、集団的自衛権ではなく、国連を中心とする集団安全保障に切り替えようということになったのです。

安倍内閣の進める戦争法は、こうした世界の戦争への痛苦の反省と、日本の反省の結露としての憲法9条を真っ向から否定し、大戦前に戻す試みです。主権者としてこれを見過ごすことはできません。

戦争法は、日本の若者を戦場に送り、人を殺させ・殺されるものです。
どう言い繕おうと、今まで行けなかった戦闘地域に行き、武器・弾薬を運び、武器の使用も大幅に認められるのです。
「後方支援」という単語は英語で言えばロジスティックス=兵站です。単なる補給活動です。補給線を断つ―これは軍事の常識です。いくら前線で攻勢をかけようと、弾薬も食料・水もいつか尽きる。補給されなければ、前線部隊は全滅します。
「安全なところで補給するのが世界の常識」という安倍首相の発言に至っては、コメントしようがないほど無責任なペテンです。古今東西の戦争で、安全なところで補給しました―という戦争があったら教えてほしい。前線に補給部隊を送り込まないと補給の意味がない。砲弾飛び交う前線に運ぶ途中で、「今から弾薬を補給するから、しばし休戦してほしい」とでも言う戦争がありますか?

「自己保存型の武器使用」などという造語も、全く意味のないものです。

このようなデタラメな答弁を繰り返している安倍内閣のもとで、戦場に送り込まれる自衛官やそのご家族の身になってほしいのです。
戦争法に賛成し、勇ましいことを言う方ほど、自らや自らの子・孫を自衛官にしようなどとは考えない。それほど「中国から日本を守る」のが緊急の重大任務なら、自らの子を真っ先に自衛官にし、真っ先に戦場に行かせるべきではないのか? 無責任に煽る方々のせいで、多くの若者が命を落とし、他国の子や女性を殺させるのです。


イラクに派遣された陸上・航空自衛官29名が帰国後自殺。
インド洋に派遣された海上自衛官25名が帰国後自殺。(2015年5月、国会で防衛相が答弁)

 アメリカ兵は、アメリカに帰ってから、1日22人も自殺している!(反戦イラク帰還兵の会発表)。イラク戦争とアフガン戦争で戦死したアメリカ兵は、13年間で6300人。自殺者は、1年間で戦死者を軽く超える。

中国に舐められるな!いざとなったらやっつけろ! と無責任に叫ぶ方々は、この数字をどう見ますか?
お断りしておきましが、イラクやインド洋に派遣された自衛隊は、「非戦闘地域」にいたのです。それでこの数字です。今度の法案では、「戦闘地域に行き」、「武器を持って戦い」、「核兵器も劣化ウラン弾もなんでも米軍のために運ぶ」のです(中谷防衛相答弁)。
戦国時代の合戦ではない。民間人が暮らしている市街地もしくは農村で戦闘するのです。誰が敵で、誰が民間人なのか。今動いたのは兵士で、あっちへ逃げていくのは子どもだ。などと判断などできないのです。
日常不断に、死んだ子どもや赤ちゃん、自分が誤って撃って殺してしまったお母さんを見るのです。ピンポイント爆撃など存在しないのです。多くの民間人が殺されているのです。
いつ敵に襲われるかわかならない不安と過酷なストレス、悲惨な死体、良心の呵責・・・これらに苛まれるのです。普通の神経では耐えられないのです。
そして、帰国後、自殺してしまいます。
 こんな戦場に、あなたは自分の子どもに「行きなさい!」と言えますか?

 自衛隊員なら「行って死んで来い!」と言えるんでしょうか?


日本人全員がテロにおびえることになる

 日本人が思っている以上に、日本人は世界の人から信頼されています。その根拠は、憲法9条です。

世界中で毎日毎日起きている戦争・紛争。アメリカもかつてのソ連も、戦闘するどちらかを支援することで武器・弾薬を売りさばき、その地域での権益や影響力を保持しようとしてきました。戦争に苦しむ人たちは、みんなそれをずっと見てきたのです。アメリカがいくらテレビで「自由と民主主義のために戦う」といっても、それを信じているのは一部のアメリカ人と日本の一部の人だけ。
日本が、中東でもアフリカでも信頼されているのは、戦争に参加してこなかったからです。どちらかの肩を持って殺してこなかったからです。
それが、小泉内閣の自衛隊イラク派遣で変わり、安倍内閣になって劇的に変わろうとしています。後藤健二さんらの殺害事件はその中で起きたことです。
アフガニスタンで長年活動している中村哲さんも、他のNGO団体の方々も、口をそろえて言います。

「戦争法が通ったら、世界中で活動している日本人がテロに遭う」と。

戦後長く信頼されてきた日本のブランドを投げ捨て、アメリカの手先となって戦争する。世界にいる日本人全体を危険に晒す―安倍内閣のしていることは、そういうことです。

企業から派遣されている在外邦人とそのご家族も、テロの対象になります。
そして、日本国内もテロの対象となるのです。
◎イギリス・ロンドンの地下鉄爆破事件(200577日)
地下鉄3か所で同時に爆破。1時間後にバスも爆破。56名死亡、700人負傷。
◎スペイン・マドリード列車爆破事件(2004311日)
合計10回の爆破で、191名死亡、2000人以上負傷。
◎アメリカ・ボストンマラソンテロ(2013415日)
マラソン競技最中の爆発。死者5名、負傷者299名。
戦争法通過後の日本は、アメリカの手先とみなされます。
新幹線、野球場・サッカー場、コンサート会場など、あらゆるところがテロの対象となるでしょう。

安倍首相は『この国と日本人を守る』と言います。しかし、実際は、『この国と日本人を、国内外を問わず未だかつてないほどの危険に晒す』ことをしようとしているのです。

だから私たちは、この戦争法に反対します。
たとえ参議院でも強行採決して成立させようとも、この法律を発動させないための、殺し殺させないために主張し続けます。

それが、出版人と言うよりも、主権者として、またこのような事態を招いた大人としての責任だと思うからです。

株式会社一声社 代表取締役 米山 傑