こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。
このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、
興味のあるものからお読みください。


2009.2.15

昨日は聖バレンタインデー。それが、何でチョコレートを渡す日になったのか、色々薀蓄(うんちく)が書いてある本もあるが、私の記憶で一番古いのは、小学校5年生だと思う。
正直言って、チョコは好きだったが、バレンタインなど全く知りもしなかった。
5年生の終わりに、クラスの女の子からチョコをもらったのだ。

「バレンタインやから、チョコあげる」
「バテレンタイン? それ何?」
「バ・レ・ン・タ・イ・ン! 女の子から男の子にチョコをあげる日やんか! 知らんの?」
知らんの?と言われたら、こっちにも見栄がある。
「知ってる、知ってる。有名やん!」
「板チョコやけど、ええ?」
「イタチョコって、何?」
同じクラスに、イタチというあだ名の男子がいたので、なんかそいつに関係あることかと思っていた。
「知らんの?」
「知ってる、知ってる、アレやろ?」
「アレって、なに? まあ、ええけど。(さすがに、女のこの方が大人の対応やね)先生に見つかったら没収されるから、隠しときや」
「うん!」
とは言うものの、どこに隠すねん? ランドセルの底、本やらノートやらの下に「これでもか!」というくらい念入りに隠した。
始業のチャイムが鳴り、先生が入ってきた時から、ドキドキしっぱなし。
「見つかったら、なんて言い訳しよ・・。『昨日の夜、妹がランドセルに入れたんとちゃいますか?』とか言おうかいな〜」
担任の先生は、手を出す人だったので、その日はずっとびくびく。
(この先生のことは、好きでした。また、色々あったあの事この事を書く機会もあるでしょう)

そんなことを思い出しながら、昨日は奥さんから義理チョコをいただき、ありがたく感謝して食べました。



2009.2.13

妹と「パンダコパンダ」を見に行ったのは、小学生の頃。宮崎駿などという名前なんぞ、全く知りもしない頃ですわ。
その後、「魔女の宅急便」も、妹と2人で見に行った。満員ですわ。
大学1回の夏休みは、長渕剛のアルバムを買って帰省し、妹に薦めた。
妹の方が大ファンになり、その後田舎のホールにやってきたコンサートにも、友だちと連れ立って行ったらしいし、妹自身バンドも組んでいた。
バンドのステージは一度だけ見た。
「見に来てや〜!」
ちゅうので、
「たまには、兄貴らしいこともせなな。それに、晴れ舞台やから、観に行ったらんと!」
と殊勝なことを思い、見に行った。
屋外のステージで、いろんなバンドが出ているうちの一つやったけど、何か感動してしまった。
女の子ばっかりで、確かみんなオーバーオールを着ていて、一生懸命演奏してた。
なんか、ものすごう嬉しくなって、声援を送って、拍手してたら、なんか一人だけ目立ってしまった。
気が付いたら、観客の多くは妹とおんなじ高校生で、大学生のぼくはやっぱり一人浮いていた。
ちょっと恥ずかしくなったけど(今頃かい?)、でも何だかうきうきと嬉しかった。
妹の子どもが、そろそろそんな頃の妹に近い歳になった。
このごろは、妹が高校生の頃さえ、「ついこの前」みたいな感覚になってきた。
そろそろ、ほんまのおっさんやな・・・。いや、おじいさん?


2009.2.12

幼い妹の鼻先でオナラをぶっ放した、小学校高学年のわたし。
母親にこっぴどく叱られたものの、それで懲りるタマではなかった・・・。

その日から、1週間くらい後のこと。

まあ、なんですな、「1週間」なんて、大人になったら、あっという間。
しかも、年々速さが加速してますわね。わたしも、
「この前なぁ」
と言うたら、軽く5年は前ですね。「前になぁ」と言うたら、10年以上前でっしゃろ。
そやけど、子どもの頃の「1週間」いうたら、大分前のこと、でした。

個人的には、オナラのいたずらがあまりに面白かったので、虎視眈々と次の機会を狙っていました。
今度の標的は? もちろん、妹です。

「あれには、まだ別の方法があるんや。また、試したいなぁ。でも、すぐにやったら、妹も怪しんでひっかからへんしなぁ」
そんなことを思いながら、早幾年(実は、1週間くらい)。
事件現場は、またまた家、そして時間帯はやっぱり私の帰宅直後です・・・。

「ただいま〜! あ〜しんど。走って帰って来たから、からだ、えらいわ」
(「えらい」というの、体がきつい、とか、しんどい、とか言う意味)
・・・しめしめ、妹はなんか読んでるわ。今やな・・・・
「あのなぁ〜。野球してたら、ズボン破けてしもたみたいや。座ったときになぁ、なんやらベリッって、音がしたんや〜。 破けとったら、みっともないから、見てくれへんか?」
妹に頼みます。
「それで、走って帰ってきたん?」
「そうやんか。ちょっと見てくれる?」
「うん、ええで」
・・・しめしめ。餌に食いついたでぇ〜!・・・

わたしの後ろに回った妹が、ズボンのお尻を見ようとした時です。
「んん? なんか怪しいなあ」
(しもた!感づいたか?)
「なんか、悪いことするんちゃうやろな?」
「そんなことするかいな〜。ズボンを見てもらうだけやんか」
「そうか、わかった」
(あ〜、危な〜! ばれたかと思うたで!)

「別に、破けてないみたいやで〜」
「そうか、おかしいなあ〜。ベリッちゅう音がしたのに。もうちょっと、よう見てくれるか?」
「うん」
と、妹がズボンのお尻に顔を近づけた、まさにその瞬間です!

ぶぶぶっ〜! ぼわっ!

「臭〜い! また、やった〜! ひどいわぁ!」
「あはははっはあぁ! また、ひっかっかったかぁ〜。世の中は危険がいっぱい。 そんなに甘うないでぇ〜」
「何しょうもないこと言うてんの! ひどいやろ。お母ちゃ〜ん!」

その後、母親にまたまたこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
二度あることは三度ある? いえ、この2度だけでした。

今日の格言  仏の顔も三度まで
(2回だけやったから、仏さんもお目こぼしくださったことですやろ)


2009.2.8

妹への手ひどい仕打ち(続き)

小学校5年か6年の頃・・・。

ある日、学校から帰った私は、その日クラスで仕入れたオモロいネタを披露しようと、ワクワクしていました。
「これ、おもろいでぇ〜。誰に試そかな? 兄貴やったら、怒るかも知れんしな。
いや、その前に警戒するかもしれん。
警戒せんと、まんまとひっかかって、しかも笑える相手は・・・。妹しかおらん!」
実際は、それほど逡巡する間もなく、学校を出たあたりから、妹に試したろ! 
と考えていたのでしょう。

「おもろいで〜! 怒るかな〜?」

はやる気持ちが自然に、歩調を速めます。

「アカン、アカン、まずは落ち着かんと、失敗する。勝負は、1回きりや!」

「ただいま〜!」
家に帰ってみると、案の定妹は先に帰っています。
「落ち着けよ〜」
と、心で念じながら、ランドセルや手提げを置いて、トイレにも行き、
「あ〜疲れた〜!」
などと言いながら、何気なく妹の横に座ります。なんと言う、何気なさでしょう。
いかにも自然に振舞っています。
妹が何かを読んでこちらを見ていないのを、横目で確認すると、
「あっ! そや!」
と、突然叫んで、立ち上がります。
「どうしたん? ちっちゃい兄ちゃん」(妹には2人の兄がいるので、年下の私は、ちっちゃいほうの兄=ちっちゃい兄ちゃん、と呼ばれていたわけです)

「どうしたん?」
「いや、忘れとった! まぁ、ええか〜」などと、ものすごくええ加減なことを言いながら、
妹がこっちに注目したのを機に、一気に核心に迫ります。

「そやそや、忘れとった。あのなぁ、今日学校でなあ、どんな加減か知らんけど、
お尻がものすごう、ええ匂いがするようになったんや。なんでやろ?」
「お尻が、ええ匂いすんの? そら、すごいなあ」
「そうなんや。でも、ほんまかどうか怪しいから、ちょっと試してみるか?」
「うん!」

引っかかった〜! ここまで来たら、あとは仕上げをごろうじろや〜!

「ちょっと前かがみになるから、お尻に鼻を持ってきてみ〜」

「どや?」
「全然、匂いせえへん」
「おかしいなあ? 匂い取れたんかなぁ? もう1回試してみ〜」
「うん!」
妹が再び私のお尻のあたりに鼻を近づけた、まさにその瞬間です!

ぶぶ〜!ぼわぁ〜! ぴっ!

「臭〜い!」
「あはははははは〜。まんまと罠にひっかかったな。まだまだ修行がタリンぞ、明智君」
「アケチって誰よ〜。それより、無茶苦茶ひどいやんか〜。臭い! お母さ〜ん!」
母のところに助けを求めに行った妹。
その後、母から「なに、しょうもないことして、妹をいじめてんの!」と怒られたことは言うまでもない。

まだまだ続く!


2009.2.7

みなさんの御家族にも、「中心」となる存在がおられるでしょう。
お母さんだったり、対外的にはお父さんに見えて実際はやっぱりお母さんだったりだったり、長女だったり、末っ子だったり。
うちの場合は、言わずもがな奥さんですが、実家の方はというと、やっぱり妹でしょう。
家族みんなに愛され、父母のことを一番思い、妹を中心に家族は回っています。
奥さんの実家なら、やはり末っ子の奥さんでしょう。

そんな妹への、私のひどい仕打ちを・・・。

あれは、小学校5年か6年の頃。
あのクラスは、いろいろおもろいことや、自分が情けないこと、いろいろありましたなぁ。
うちの小学校は、街中の学校でしたが、住んでる地域が学校から遠い、遠い(と言っても、山間部などに比べれば目と鼻の先でしょう)。隣の小学校との境にあり、どっちの小学校に行ってもよい「自由校区」やったんです。いわゆるグレーゾーンですな。
木造2階建ての文化住宅(アパート)がたくさん建ち並ぶ、超ミニ多摩ニュータウンみたいなもんですな。
話は変わりますが、なんで「文化」住宅なんですやろ?

「文化」という言葉は、ハイカラみたいなニュアンスですやろか? 鯖の文化干しみたいな。
「文化住宅に住んでまんねん」
というのは、今で言うたら、
「億ションに住んでますのよ」
と、同じような意味合いでしたでしょう。(ほんまかいな?)

話がどこに行くんや?

すみません。まあ、そんな似たり寄ったりの家族がぎょうさん集まっている地域におったんです。
時には垢がぎょうさん浮いてる銭湯と、いつのものか分からんようなモノをよけて買わなアカン八百屋さんと、調子のええおっさんが大将のスーパーがある、そんなとこですわ。八百屋さんは、大福帳ですからね。
おばちゃんが、どこで売ってるねん?みたいな大きなそろばんをはじいてます。
この話もまたどこかで。

あかん、そろそろ時間です。また続きは、次回に・・・。


2009.2.5

読書ボランティア―活動ガイド先日、イラストレーターの鈴木隆一さんが会社に来られました。
『読書ボランティア―活動ガイド』のすてきな絵を描いて下さった方で、なんと北海道からはるばる出てきてくださったのです。
ご友人の結婚式出席のため、とか。
ご丁寧にお土産を持ってきてくださったのですが、北華楼の「北海道 開拓おかき」という、美味しいおかきでした。
鮭や、ほたて、いかなどの味がするのです。
食べ始めると止められない、そんなおかきでした。

鈴木隆一さんもこのブログをよく読んでくださっているようで、
「北海道から出てくる前に、『ガス爆発』を途中まで読んだので、その後どうなったか、気になっているんです。帰ったら、また読んでみます。私のホームページもずっと更新していないので、見習って書き込みます!」。

鈴木さんも、大学時代は寮生活だったそうで、共通の思い出がいろいろあり、なんだか、懐かしい、心温まるひとときでした。
鈴木さんのやさしいお人柄も、とても温かい空気を送ってくれます。
ちなみに、鈴木隆一さんのホームページはこちら


2009.2.4

言葉の話、続き。

同じ市内から通う高校の同級生でさえ、言葉が違う部分がありましたから、昔は本当に狭い地域で言葉が発達していたんでしょう。
言葉が自然に標準化して行くのは仕方ないにしても、テレビで話されている出自不明の言葉を真似るのはちょっと・・・。
最近は、出張で大阪に行っても「それ、ちがうんじゃねぇ?」「なくねぇ〜?」 「ちげぇーよ」と、キムタクさんのようなしゃべり方をする高校生とか若い子に、よう会いますわ。電車の中とか、繁華街で。
最初は、修学旅行に来た東京の子かと思っていたら、その輪の中に必ずベタベタな言葉をしゃべる子がおるし、あちこちでそんなけったいな言葉をしゃべる子を見かけるので、 「ははぁ〜ん。テレビの真似か」 と、納得。いや、「大阪の誇りは、どこに行ったんや」と、納得できん。

政府が盛大に旗を振ってかなり強引にすすめた自治体の合併も、妙ですなぁ。
何が妙や言うて、合併後の名前ですがな。
伊豆半島に旅行に行った時に、「伊豆市」と「伊豆の国市」があったのには、 腰を抜かしそうになりましたで。
三島駅から車で伊豆半島を走ったのですが、道路の標識に 「これより、伊豆市」とあり、 「伊豆市って、伊豆半島のほかの地域から文句出ぇへんのかいな」 と、しゃべりながらしばらく走ると、 「これより、伊豆の国市」の標識が・・・。
「あれっ? さっきと同じやん!」「ちゃうやろ、さっきは伊豆市で、今度は伊豆の国市やんか」
なんで、そんなややこしい名前をつけたんやろ? 住んではる人は、混乱せえへんのやろか。
もうちょっと、どないかならんかったんかなぁ。と、心配になってきます。

鹿児島県の「南九州市」と「南さつま市」もややこしい。
岩手県の「奥州市」 は、他の奥州から文句が出えへんのやろか? と、心配になり。
群馬県の「みどり市」には、・・・・・・??。
それから、目を引くのは「中央」という言葉ですな。山梨県のそのものずばり「中央市」。愛媛県は、「四国中央市」。

やたらと町名を変えて、「●●1丁目」とか、味も素っ気もない地名にするのも、そろそろ止めにしませんか? 
地名も、行政区名も、行政区の区割りも、そこの人たちが、長く長く生きてきた「歴史」と「伝統」ですからね。
暮らしやすいように変えて行くのは、もちろん結構ですが、行政区は大きければ良い、簡単な名前である方が良い、というのは、ちょっと乱暴ですね。

「日本の国柄」「固有の伝統文化」「先人への畏敬の念」とか、声高に叫ぶ人々が、一方で同時に強引な市町村合併を進めるのは、かなりけったいなことですわな。逆に、「伝統を何と心得る!」と、強硬に合併反対してるんやったら、話の筋は通りますが・・・。



200923

今日は節分。
今年の恵方は・・・、と太巻きの丸かじりをされた方も結構おられるでしょう。
この風習、長い間全く知りませんでした。

「えっ? 関西ではみんなこうするんじゃないの?」
と、かつて連れ合いから聞かれたことがありますが、見たことも聞いたこともなかったですね。少なくとも30すぎまでは。

実際に、こういうことをずっと守ってこられた地方もあったのでしょう。
でも、やっぱりあっという間に全国に広まるのは、それなりの背景があるのでしょう。
それはそれとして構いませんが、「関西の風習」とか言われると、ちょっと待ってや、と言いたくなります。
関西、関西、と申しましても、いささか広うござんす。「関西」と、一語でひとくくりにされるのはたまりまへんなあ。
それは、「東北地方」という言い方も同じでしょう。福島も、秋田も、青森も、みーんな違いますしね。

「関西弁」なる、けったいな言葉もやっぱりテレビの影響が大ですね。
もちろん、昔昔と較べて、遥かに人の行き来が盛んですから、言葉が変化していくのは仕方ないですし、すでに私ら自身、田舎の親の世代とは言葉が違います。 知らん言葉がぎょうさんありますね。

昨年、このブログの熱心?な読者である、子どもの未来社の奥川さんから、
「ヨネちゃんの田舎の言葉を、ブログで紹介してよ」
と言われていたのを思い出し、実際に自分が使っていた言葉を少し・・・。

★ごぅわく→ 腹が立つ。 
*恐らく、「業が湧く」から来ているのではないでしょうか? 腹を立てるのは、体の中の「業」がなせるわざですから。
*ちなみに、語尾が「のー」となります。腹の立つことが多いですから、「ほんま ごぅわくのー」
「関西弁」というと、語尾に何でも「やん」とか「やー」とか付けるアナウンサーとかおられますが、ちょっとちゃいますね。

★めんどい→不細工。 
*たぶん、「面がひどい」から来ているのでしょう。
ブルドックなどを見たときに、「えらい めんどい犬やなぁ」と言ったりしていました。

★おせらしい→特に、女の子が成長した、幼児から少女に成長したなぁ、と言う時。 「えらい おせらし なって〜」 
*「おせ」という言葉を、「大人」として使う地域もありますよね。

★べっちょない→大丈夫。 
*恐らく、「別条ない」から来ているのでしょう。
走っていて転んで、心配されたときなどに、「あぁ べっちょない べっちょない!」



2009.1.27

「いつもの豚玉! 今日はモダンやで〜」
行きつけのお好み焼き屋Kのおばちゃんに、元気よく注文した大学生のわたし。
「よっしゃ〜、火つけて待っといてや〜 鉄板温めといて〜 すぐ持っていくから〜」

おばちゃんの元気な声に反応し、
「ほな、火つけとこ!」
と、いつもの手つきで、テーブルの下にあるスイッチをひねります。
なあに、毎度毎度、こうやって火つけてるんですからね、すぐに・・・・。

カチャ! シーン・・・ シューッ
「あれ? おかしいなぁ。何でや? もういっぺん!」

カチャ! シーン・・・ シューッ
「あれ? どないなってんねん! くそー!」

カチャ! シーン・・・ シューッ
「壊れてるがな・・。全然つかへん。もういっぺんやってみよ」

もしかしたら、電池が切れてたりして、火花がちらへんのかもなぁ。
しゃあないなぁ。
そう言いながら、テーブルの下に頭を突っ込んで、点火口をじっと見つめたまま、 スイッチをひねったまさにその瞬間!

ボワッッ ドーンッ!!!

「どないしたんや! 何が起こった〜!」
おばちゃんがすっ飛んできます。
「ガスが爆発した〜」
「あほやなあ。何してんの〜! それより、あんた大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
恥ずかしさのあまり、胸を張って、元気に答えるわたし。
「何が大丈夫やの! あんた、髪の毛、チリチリになってるでぇ〜」
「うそ!」
「うそ、ついてどないすんねん! 髪の毛だけやないで〜。眉毛も焦げてしもてるやんかいな」
「うそ!」
「うそ、ついてどないすんねん!」
「ほんまに〜」

事態が飲み込めて落ち着くに従い、どんどん元気がなくなっていく。青菜に塩ですわ。
それに、冷静になってきたら、痛い! 何が痛いっちゅうて、顔は真夏に泳ぎすぎて日焼けした感じ。

それに・・・。
鼻の中が、痛いんです!!

鼻の中が日焼けした感じやんか。
何でや? そうか、ガスが鼻の中に入ったまま、点火されたんやな? 鼻から、火が出てたかも知れんなあ。
これこそ、ほんまの、「鼻息が荒い」やんかいな〜。
それにしても、顔が痛い。ほんまにひどい日焼けみたいな感じや。真冬やのに〜。
ますます元気がなくなり、小さくなっていくわたし。青菜に塩どころか、なめくじに塩、みたいに小さくなってしまうやん!

「これっ! ヨネちゃん。気ぃしっかり持ちや! 
あんた、これだけですんだからよかったけど、店が吹き飛んでたら、おばちゃん首くくらなアカンがな〜」

「うん、うん。ごめん、おばちゃん。今度から、火ぃつけんと、気ぃつけるわ。
恥ずかしいて、顔が痛いし、これぞほんまに、『顔から火が出る』や!」
「冗談言えるくらいやったら、大丈夫やろ」

あやうく、新聞沙汰になりかけた。もし、大きな事故やったら・・・。

「大学生、ガス爆発で店を吹き飛ばす。ケガ人多数。真冬の大惨事。
『今度から、火ぃつけんと、気ぃつけるわ』
容疑者Yに反省なし」(●新聞)

現代の若者に詳しいKY教授語る。
「ガスに火をつけることも出来なくなっている。生活体験の不足もついにここまで来たか、という思い。事件を引き起こしたYが、事件後に笑えないジョークを言っていたが、理解不能だ。責任感の欠如! 新人類もここまで来た。末が恐ろしい」
Yと親しい、同じ大学のCさん語る。
「いつかこんなことをしでかすヤツやと思いましたわぁ。いつも笑えんギャグばかり連発してましたね。」

などと、言われていたことでしょう。つるかめつるかめ。



2009.1.24

ガス爆発の話のはずが、一向にその話題にならへんやんか! とお怒りの皆様、どうぞ気をお鎮めください。

学生時代に、貧しい寮食から救ってくれ、命の息吹を与えていただいたお好み焼き屋さん。
その御恩は、山よりも高く、海よりも深い。
そんなお好み焼き屋さんに、今日も今日とて、友人のTと食べに行ったわたし。
当時21歳。

「いらっしゃい! あ〜ヨネちゃん。いつもありがとう! そっちのテーブルに座りや〜 今日は何にする? いつもの?」
「うん。いつもの豚玉。今日はモダンにしよかな?」
「おおきに。火つけて、待っといて〜」

やっぱりお好み焼きは、豚玉でしょう。しかも、高級な豚肉はあきまへん。いっときテレビなどで
「こんな高級具材をふんだんに使った、グルメなお好み焼き!」
と銘打って、タレントさんたちが「おー、うまい!」とかおしゃっていましたが、それはすでにお好み焼きにあらず。
これは、庶民の食べもんですからね。豚玉も、脂身がジュッと出てくるから美味しいんですな。
「上等な赤身だけを使用!」って、それ、かえって旨ないですわ。

ちなみに、牛肉を載せると「肉玉」になりますな。
関東の方は、「牛肉が『肉玉』 やったら、豚は肉と違うんですか?」と突っ込みたくなるところ。
牛肉は、「お肉」です。豚肉は、ブタ。

話は脱線続きですが、昔はお肉(牛肉)なんか、高級品ですからね。
今でこそ、牛の部位に名前がついた肉を売ってますが、昔は「牛肉」は「牛肉」。
特上だの、並だの、にぎりみたいな名前でしたね、確か・・・。
滅多に食べへんかったから、記憶が曖昧ですが。
兄か妹の誕生日とかに、「今日は、テキにする?」とか言われると、みんなで大賛成したもんです。
テキというのは、きっとビフテキ(ビーフステーキ)の略ですやろね。

さて、いよいよ、ガス爆発の話題へと移りますが、ここでちょっと休憩。


2009.1.20

ミニ・ガス爆発の巻その1

「人災」は、忘れた頃にやってくる・・・。

今日の話をご覧になる前に、次の言葉を3回唱えてください。

「バス ガス爆発。バス ガス爆発。バス ガス爆発」

ありがとうございました。新年早々、爆発などと物騒な話題で申し訳ありまへん。

さて、あれは、大学4回生の頃。行きつけのお好み焼き屋で、その事件は起きたんですわ。
・・・・・・

わたしたちの学生時代、寮生の食事はきわめて質素でしたんや。
食事を作ってくださる炊夫さんは、寮生が少ない寮費を出し合って自分達で雇っていたのです。
住み込みでしたが、もちろん安い賃金だったと思います。
少ない食費をやりくりして食事をつくってくださるのは、相当ご苦労も多かったでしょう。
私たちの代頃まで、どんなに寮食が不味くても「食べない」ことはなかったでしょう。現に、わたしもそうでした。
そりゃそうでしょうよ、当たり前やん! と、当時の寮食をご存じない方は、そうおっしゃるでしょう。
でも、真冬に豆腐一丁の冷奴がおかず、という食事をなさってみてください(食事さえ満足にできない方が物凄く多くなっている日本では、これとていまや贅沢でしょうけど)。体の芯から冷えますよ。
寮食は、3時か4時ごろには出来上がって戸棚に置いてありますから、私らがバイトから帰ってくる夜遅くには、冷奴は巨大なアイスクリーム状態になっているわけです・・・。それを、1丁食べた後の体の震えは忘れられませんわいね。
やがて、寮生といえども、食事に手をつけずに外に食べに行く後輩がかなり増え、自転車さえ持っていなかった私らを尻目に、車やらバイクやらが寮内に格段に増えました。それも時代の流れでしょう。
今また、かなり生活の厳しい学生が多くなっていると思います。

私たちは、食事をまず済ませてから、お口直しにお好み焼きなどを食べに行っていたのです。
食欲もかなりありましたし。中華料理のW,喫茶店のHとT,中でも特にひいきにしていたのが、お好み焼き屋のKです。
ここのおばちゃん(あの当時すでにおばあちゃんでしたが)に可愛がっていただき、こっそりおでんを付けてくれたり、夏にはスイカを食べさせてくれ、クリスマスにはケーキも一切れいただいたり・・・と。ほんまにお世話になりました。
ご恩は決して忘れません。

(続く)



2009.1.17

忘れてはいけないことを、忘れてしまう。
「忘れる」ということで、生きていける――、そういう意味があることを頭では理解しても、やっぱり「忘れてはいけないことがある」。

14年前の今日、午前6時の少し前。阪神・淡路大地震が起こりました。
6400人以上の尊い命が失われ、負傷者も43000人以上、全半壊25万棟・・・。

地震は天災で、今は防ぎようがないだろう。でも、被害を最小限に食い止めるのは、人間ができることだ。
西宮や神戸で、あの後、この目で見、音を聞き、空気を吸い、激しく感じたこの心は、変わることがないと思っていた。
でも、昨年の中国・四川省の大地震では、自分自身は何も出来なかった、募金さえも。
同年の岩手・宮城内陸地震でも同じだ。指をくわえて、傍観者になっていただけだ。
最も忌み嫌っていたそういう人物に、自分自身がなっていたのだ。

6年前にアメリカが無理やり起こしたイラク戦争には、あれほど激しく怒って行動したのに、昨年末から今も続くイスラエルのガザ攻撃に対しては、まだ何も出来ていない。

でも、そういう無力な一市民にも出来ることが山ほどある。
出来ないことを嘆くより、出来ることを探そう。
忘れたことを嘆くより、思い出したときに、何かをしよう。そう心したい。

たとえ1年に一度だとしても、1月17日には、震災のこと、「政治」が何をしたのか、「マスコミ」が何をしたのか、自分は何をしたのか感じたのか、思い起こすことは、決してムダではないだろう。
それは、松本サリン事件や地下鉄サリン事件の日でもいいし、「派遣村」開村の日でもいい。

忘れていくことは仕方ないが、思い出すことはできる。過ちを繰り返さないこともきっとできるだろう。



2009.1.16

厄除けの重要な儀式は、その時本堂に入って座っていた人だけが聞いて、外で待ってた田舎者3人組の私らはお経が流れる中、本堂の中をただ通っただけ!

「外の廊下で立ったまま、ほとんど聞こえへんようなお経を聞かされて、あれで厄除けができるんやったら、あのお寺の周囲2キロの住民は毎日毎日、しかも1
日何回も厄除けされて、無病息災やんか!」
「1回の人数を、本堂に入るだけの数にせえちゅうねん!」
「つまりや、坊さんのお経が聞こえたら、それでありがたいと思え、ちゅうことやね」
「そうや、仏さんを拝ませてやったから金払え、ちゅうことやろ。つまりや、無茶くちゃ高い拝観料ちゅうことやんか!」

怒り心頭の田舎者3人! これがスーパーマーケットの買い物やったら、「金返せ!」と言いたいところ、坊さん相手にそんなこともできず・・・。結局、泣き寝入りですがな。

「せっかくお母ちゃんが、厄除けしいや、いうて大事なお金を送ってくれたのに。
これやったら、厄除けどころか、厄が憑り付いた感じやなあ。3人でうまいものでも食うた方がよかったなあ〜」

がっくり肩を落として、帰る道すがら、頭をよぎる昔の人の格言。

地獄の沙汰も金次第

まあ、お寺さんも生活していかなあきませんよって、少々のことは目をつむりますが、それにしても・・・。

習うより慣れよ

慣れなアキませんかいな?
ちなみに、文字通り今回の「厄除け」に行った、足立区の有名なお寺さんは、全然違いましたで〜。

このときは、私の奥さんだけが厄除けして、わたしは付いて行っただけ。
始まるまで時間があったので、一緒に本堂に座って待っていました。
いよいよ、厄除け儀式がまさに始まろうとしたので、本堂に座っていた私は、
「そしたら、外で待ってるから」 と、立ち上がって、外に出ようとした時です。
「もしもし、そちらの方、どこに行かれますかな?」
「わたしでっか? いや、わたしは厄除けしません。付き添いで来ただけですよって、外に出ますわ」
「いえいえ、どうぞ、そのまま」
「そうかて、わたし、お金、払うてしませんから」
「構いません。奥様の厄除け儀式に、どうぞ、そのままお付き添いください」

なっなんと、そのまま一緒にお経を聞いて、その後のお坊さんの講話?(ありがたいお話)まで聞かせていただき、一緒に退席したのです。付き添いやのに・・・。

某高名なお寺との、なんという違い!
う〜ん、さすがに懐が深い。お釈迦さんも、喜んでおられることでしょう。

またまた、昔の人の格言が頭をよぎります。
これぞまさに、

地獄で仏



2009.1.15

関東地方のさる高名なお寺さんに、厄除けに来た田舎者3人組。続き。

仏さんにゆっくり手を合わせる暇も無く、本堂を通り抜けていく田舎者3人組。
その間にも坊さんの読経の声は続きます。
「お勤めかいなあ〜」

「それにしても、仏さんのお顔をじっくり見ることもできひんわいな」
美術館の人気展覧会でもあるまいに、行列の流れに沿って、本堂の中を通り過ぎるだけの私たち。

まっすぐ歩けばあっという間に外に出るのに、これまた美術展のようにロープが張られた通路に沿って、本堂の中をじくざぐに歩かされます。
「まあ、仏さんの前後左右にまわって、ありがたみを感じろよ、っちゅうこっちゃろ」
どれだけじくざぐに歩いても、狭い本堂ですから、そんなことをいう間にも、いよいよ本堂の外へ出ます。

と、いよいよ始まるであろう、厄除け儀式に大いなる期待を抱いたまさにその時です(厄除けなんか、ちゅうてた割には期待してるんやね)!

「これにて、皆様の厄除け、無事執り行われました。どうぞ、お足元にお気をつけて、お帰りくださいませ」

「今、何を言うてた?」
「いや、よう聞こえんかった。肝心なときにハンドマイクがあっちを向いてたから、音が途切れ途切れでなぁ」
「なにやら、これで終わった、とか言うてなかった?」
「そんなはずないやろ。まだ何もしてないで〜」

出口あたりで、右往左往する田舎者3人組に、後ろから追い越していく同じ回の方が、声をかけてくれました。
よほど、右も左も分からんおのぼりさんに見えたんでしょう。

「もしもし、もう無事厄除けは終わりましたよ。そこに立っていると、危ないですよ」

えぇ??
わが耳を疑った私たち。終わった? 厄除けが? いつ? どこで? だれが?
どうやって?
5W1Hみたいな質問を自分の脳にしつつ、今まで起こった出来事を反芻します。
「外で待っている間に、前の回の人らのお経やら鉦やら何やらが聞こえてきて・・・」
「それから列が動き出して、本堂に入って・・・」
「手を合わせる暇も無く、ところてんみたいに押し出されて・・・」
「それで今ここにおるんやんなあー」
はっと、顔を見合わせる田舎者3人組。
「そうや!」
同時に叫びました!
「あれが厄除けやったんや〜!!!」

まだ続く!




2009.1.14

関東地方のさる有名なお寺に、「厄除け」にやってきた、3人。
「こないにようけ、厄除けする人がおるんやなあ。お寺さんも大儲けや」
「なにを罰あたりなことを、言うてるんや。仏さんが聞いてるで」
「そうかて、この列だけで、一人○円として、かける事の・・・」
神仏を愚弄するようなことを言いながら(ちなみに、そんな罰あたりなことをしゃべっているのは私一人で、あとの二人はたしなめていたのです。そんなことは、御釈迦さんなら御存知でしょうが・・・)、じっと順番を待つ3人連れ。

本堂からは、相変わらずお経と鉦やら太鼓が聞こえてきます。私ら3人はと言うと、他のぎょうさんな人と一緒に、本堂の外、渡り廊下ともいえないような通路に屋根がついただけの所で、じっと立って待っています。

「そろそろ、前の番が終わるんちゃうか? ほら!見てみ。前の方の列が動き出したで!」
いよいよ列が動き始めました、私らのところはまだじっと動かないものの、動きが少々出ただけで気持ちが明るくなります。
「さあ、いよいよ。僕らの番やなあ。外で寒いところ待った甲斐があったっちゅうもんや。それにしても、こんな外で待たせるんやったら、もっと後で呼んでくれたらええのに」
「何言うてるんや。俗世間の喧騒から逃れて、しばらく心を落ち着かせてから、お払いするんやろ」
「なるほど、仏さんの思し召しやね」

ようやく動き始めたことに気を良くしながら、しばらく歩くと、本堂に昇る階段があります。
「いよいよやで!」
階段を登ったら、本堂への入り口があって・・・・・、ほれ、ここから入り口やがな。さあ、どこに座ったらええんや?
とうとう本堂にたどり着いて、私らの番の人々はどこにどのように座っていったらええのかいな?
とキョロキョロした、次に瞬間です!
「ああ〜、そこ〜! 立ち止まらないで下さ〜い。立ち止まらずに、お参りくださ〜い」
この時は、まだ事態が十分飲み込めていなかったのです。
「立ち止まるなって? 何や? ははぁ〜ん、先に仏さんにお参りしてから、別の場所でお払いするんやなー」
「そらそうやろ、これだけの人数をいっぺんにお払いしようと思うたら、この本堂では狭すぎるわ」
「えらい、手が込んでるなあ。まあ、仏さんを拝んどこ」
そう思って、手を合わせようとした時、またまた、坊さんがハンドマイクでしゃべります。
「立ち止まらないで下さ〜い。どうぞ、立ち止まらずに、歩いてくださ〜い。後ろがつかえておりま〜す」
なに〜!? 御本尊さんに手を合わせることも出来んのか! そっちの方が罰あたりやんか。
なんか、ベルトコンベアーに載せられた、荷物のような気分やなあ。
やっぱり、どこまでもシステマチックやなあ。チャップリンの『モダンタイムス』が頭をよぎります。
せめて、仏さんくらいほのぼのとゆっくり拝ませてやぁ。やっぱり、運転免許センターやんか。

さる高名なお寺さんへの疑惑の芽が伸びていきます。
しかし、しかーし。驚くのはまだ早かったのであーる!

(続き)


2009.1.13

厄除けに行った私たち。

あ〜ここや、ここや。まあ、大きい方やな。
えっ? 厄除けの申し込み所が、なんやら運転免許センターみたいやなあ。
なんと、免許センターのように、申込書を書く台やら、いくつかの窓口やら、なんとまあ、システマチックな・・・。
なんやら、ありがたみが無いなあ。コンピューター占いでもやられるみたいやなあ、という軽い驚き。でも、それは後ほどの大きな驚きに比べれば、屁のかっぱだったのである。

兄貴と私とで、申込書に記入して、窓口でお金を支払うと、「はい、●番です!」
と、これまた免許センターみたいに、受付番号が言い渡されます。
え〜と、●番は、△時からやなあ。
時間まで、そこらへんをぶらぶら散歩しながら、順番を待ちます。
いよいよ、時間やで。自然に気持ちは高まります。
厄除けって、何するんやろ? 顔に墨塗ったり、餅食うたりするんかいな?

「△時の会の方、番号順にお並びください」
これまた、御丁寧なアナウンス。ますます免許センターみたいです。
えらい、並んでんなあ。こんなん、いっぺんに入るくらい大きいんか?本堂は?
兄貴と付き添いのうちの奥さんと3人で並びながら、そんなことを話しながら、 列に並びます。

それにしても、人が多いなあ。これみんな、厄除けやろ? しかも、次々にやってるやろ?
そんな会話をしながら並んでいると、本堂の方から、坊さんのお経を読む声と、 鉦やら太鼓やら、が聞こえてきます。
なんや、なんや、もう始まったんか?
まだやろ、列が全然動いてないし。
そうか、そうやなあ。時間かかるなあ〜。

明日に続く。



2009.1.12

新年ですから楽しい話題を送りたいのは、山々なれど、年末からのイスラエルによるガザ地区攻撃は、まったくもって許しがたい。国連決議も無視ですか。ハマスのロケット弾攻撃も同じく許しがたい。結局、テロもテロとの戦争も何も解決せえへん。無辜の市民がぎょうさん殺されるだけ。爆殺された子どもが、ハマス??

「国連決議を無視した」「大量破壊兵器を持っている」というアメリカのイラク戦争の大義名分は、イスラエルには通用せえへんのやね。「ダブルスタンダード」 という、中東でのアメリカの評判がよけい強うなって、テロは一層増幅される。
そういえば、髪を振り乱してイラク戦争を支持した、かのお方は、子どもに「地盤」を譲って勇退(?)したんでしたなあ。
わたしら日本人は、人殺しに手を貸した責任と言うものがありますわね。忘れることは許されまへんわな。


さてさて、驚き桃の木のさる有名なお寺さんのお話。
神さんも仏さんも信心してない、けしからん私が「厄除け」なるものにチャレンジすることになったのは、こういう訳です。
(信心してないですが、初詣もしますし、観光にいっても、お寺さんやお宮さんで、ちゃんと手を合わせまっせ)

うちの母親が「厄年やからね」とお金を送ってきたんです。
「えっ? 厄除けなんかせえへんでぇー」と思いましたが、送られてきたもんを返すわけにも行かん。
かというて、別のことに使うたりしたら、それこそ罰あたりですがな。
「まあ、親孝行やと思うて、行っとこかいな」
と、年子の兄貴を誘うて、うちの奥さんと3人で、例のかの有名なお寺さんに出掛けたわけです。

最寄の駅のマクドナルドで、兄貴と待ち合わせ。(ちなみに、マクドナルドに行くのは、うん十年振りでしょうか? 
この日以降も、今に至るまでたぶん足を踏み入れていないと思います)

続きは、また明日。




2009.1.9

帰省した折、田舎の神社に初詣に行ってきました。
このお宮さんは、昔々は並んで拝んだ覚えが全然ないほど、すいていると言うか、地元の人しか行かんというか、ひっそりしたお宮さんやったのに、いつの頃からか賑わうようになって、今年の初詣も並んだ、並んだ。
ここ数年毎年のことながら、みんなが行列を作って並んでる横を、高速道路の路肩走行みたいに、順番を抜かして前に割り込んで行く人の多いこと、多いこと。まあ、何ですな。
新年早々、神さんの前で、「自分さえ良ければよろしい」という自分をさらけ出して、罰でもあててもらおうという、ものすごく殊勝な方々ですな。私らみたいに、神罰を恐れる小心者は、そんな真似おおっぴらにできませんわ。せいぜい、屋台の鯛焼きを買うとき「そっちは冷めてるから、こっちの熱いのにしてえやぁ〜」と物凄く細かいことを要求するくらいが関の山ですな〜。

「苦しいときの神頼み」・・・今年はどこの神社仏閣も賑わっていたようです。
かく言う私も、神さんも仏さんも別に信仰してないんですが、初詣には行きますし、大晦日にお寺さんに行って檀家の皆さんとお経を唱え、除夜の鐘を撞きます。
厄除けにも行きました! なんや、何やかや言うて、信じてるやん! というご批判もございましょう。まあ、母から「厄除けに行ってきぃや」いうて、お金を送ってこられたら、行かなしゃあないですしね。ところが、厄除けに行った関東地方のある有名なお寺でビックリ仰天、お釈迦さんも腰を抜かす事態に遭遇したのです〜!
(名前を挙げても構しまへんが、あえて匿名のお寺さんにしときましょ)

それは、・・・・・・。続きはまた次回のお楽しみ・・・。




2009.1.6

あけましておめでとうございます。
今年も身近に巻き起こる騒動を過去の記憶も呼び起こしつつ、書いて行こかいなと思いますので、
どうぞ広〜い心でお付き合いくださいませ。

さて、お正月休みの間にブログを読んでくれた大学の後輩から感想が届きましたので、ご紹介しましょう。

中日ドラゴンズファンのHです。
私は、ブログを見たり、メールを出したりすることはほとんどしないのですが、ヨネさんのブログを見て、懐かしさのもあって メールを送ることにしました。なぜか、若いころから、いろいろな武勇伝のある人だったなあと思い出しながら、ブログを読んでいました。(まあ、ヨネさんの裏の武勇伝はとてもブログには書けないようなことばかりですが・・・)
ただ、学生時代と変わらない正義感、熱血漢、アホさかげん・・・
いろいろあって読んでいて楽しい話ばかりでした。
これからは、時々、一声社のホームページを見てみようと思います。
今年こそ、中日ドラゴンズの優勝を!
(東海地方に住み、教員をやっているHより)

▲ページトップ

[最新記事] バックナンバー [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [バックナンバー一覧

TOP新刊紹介本の紹介 ご注文方法 イベント会社案内アンケートE-mail

〒113-0033 東京都文京区本郷3-11-6浅香ビル1F  E-mail : info@isseisha.net
Copyrights 2000-2009 ISSEISHA All Rights Reserved.