こどもたちの夢を育てる 一声社 |
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。 このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、 興味のあるものからお読みください。 |
2009.12.21 |
昔の記憶シリーズ―その4 4歳のとき。 赤ちゃんの妹をいつも母があやしていました。 僕は母があやしているところをじっと見ていましたから、見よう見まねで赤ちゃんの妹をあやしていたんです(あやす、なんて言葉も知りませんが)。 あれこれ話しかけながら、利き手の右手で、赤ちゃんをゆっくりと・・・・・。 母が「よし、よし」と軽く布団を叩いたりしているのを、4歳児の僕は揺さぶっていると思っていたのでしょう。 「死んでしまうやないの!」 そらそうでしょう、揺さぶっていた、というのも控えめな表現で、ほんまに芋虫のようにゴロゴロと転がしていたようなものでしたから。 あのときの母の鬼の形相と、すっとんで来た速さ、ぶたれた痛さ、妹の息の根を止めてしもたかもわからんという恐怖・・・、これは忘れようにも忘れられない出来事でした。 母は、妹の様子をしっかりと見て大丈夫なのを確認し、自分も落ち着いてから、こう言いました。 母のお使いが近所やってよかった。あれから半世紀近く経った今でも、そう思います。 |
2009.12.19 |
昔の記憶―その3 2〜3歳の頃、おじいさんから缶入りの飴をもろた後で、新しいアパートへ引っ越しました。アパートのすぐそばを、国道2号線が走っています。 話は変わりますが、私らが子どもの頃、そうですね、小学校3〜4年生くらいまでは、大きな道路を馬車が通っていました。馬車といっても、客車ではなく、荷物を引く車です。 馬はゆっくり歩きながら、ときどき、ぼとっ! ぼとっ! と大きな落し物をしていきます。 そんな国道2号線を、聖火リレーが駆け抜けていきました。 |
2009.12.16 |
一番古い記憶―その2(3歳の記憶) 2〜3歳の記憶は、ずばり! 扇雀飴とおじいさん、です。 扇雀飴というのは、僕らのほうでは結構ポピュラーな飴でした。これまた、後知恵(後知恵も後知恵、今調べて分かったのです)ですが、扇雀飴は1925年創業で、なんと僕らの地元に工場があるらしい(もっとも、僕らが子どもの頃は、大阪で作ってたみたいですわ)。 前置きがえろう長うなってしまいましたが、ご近所のおじいさんから大きな缶かん入りの飴をもろたんです。もろたときのこととか、当時の味は全然覚えてないんですけど、「おじいさんからもろた」という点と、「大きな丸い缶かんに一杯入っている飴」という2点だけを覚えているのです。 しかも、扇雀飴のマーク! でも、ようよう考えてみると、「おじいさん」というのは、今の私の年頃やったかもしれませんわ。あの時は、親も30歳前後ですからね。 |
2009.12.15 |
一番古い記憶 みなさんは、一番古い記憶(つまり、一番幼い時の記憶)は何歳くらいの、どんなことでしょうか? うちの家の前に、三兄弟が住んでいて、一番下がまだ1歳のA君。 私の場合は、よくよく思い起こしても、3歳の記憶が微妙、4歳からならよく覚えていることもある、という感じです。 2〜3歳の記憶ー あれは、・・・・・。 |
2009.12.10 |
三省堂書店成城店さんのおはなし会顛末記―その3 おはなし会終了後のお話。 おはなし会の会場は児童書コーナーの一角。当然、子どもの本を見に来ている子ども達もたくさんいるわけです。会場の一番前あたりに、おはなし会が始まる前からしゃがみこんで熱心に本を読んでいる子どもがいました。小学校3年生くらいの女の子です。 おはなし会をお開きにして、参加してくださった方と少しお話をし、それも落ち着いた頃。 「そんなん気にせんでええよ。それより本を読んでたのに邪魔してゴメンね」 もしかしたら、お母さんに 「気にすることないで。ずっと本を読んでるとこに突然来て、勝手におはなし会をやって、読書の邪魔したんはこっちやから」 |
2009.12.09 |
三省堂書店成城店さんのおはなし会顛末記―その2 「そろそろ時間ですね、ちょっとグッズをおはなし会の場所まで持って行っときますわ」 児童書コーナーの一角を片付け、床にマットを敷き、ソファも置いて、いよいよ会場の出来上がり。 「店長さん、今何時ですか?」(時計を持ってないんかい!) 例の如く自己紹介ぱたぱたで、自己紹介。 動物の家が入れ替わる不思議な家などを次々に実演した後、本日のメインとして全員参加の『おばけの森』。 3回試みて、誰も最後までいけなかったのですが、一番と置くまでいけた子ども3人にプレゼントを渡し、最後は「折り紙キツネ」をプレゼントして、さようなら。 「おじさん、ありがとうございました」 はぁ〜、無事に終わって何より。子どもにも喜んでもらえたし、それが一番!
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2009.12.03 |
三省堂書店成城店さんのおはなし会顛末記―その1 11月28日土曜日、ついに運命の日がやってきました。 土曜日お昼頃の三省堂書店成城店さんの店内は、かなりの人出。親子連れなどで賑わっています。 店長さんは物凄くお忙しいところ、私なんぞの話し相手に。 すると、店長さんが「姫路城も行ったことがあるんです。平成の大改修のまえにもう一度いきたいですね。実は、書写山円教寺にも一度だけ行きましたよ」と。 店長さんの歴史好きは相当なもの。今年の流行語大賞にノミネートされた「歴女」というのがありましたが、店長さんはさしづめ「歴長(駅長ではなく)」さん。 お忙しいのにお話をさせていただき、「きっと、リラックスしてもらおう、という心遣いに違いない」とそのご好意に甘えつつ、出番を待ちます。 まだ、始まらへんの?
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2009.1127 |
いよいよ明日は、三省堂書店成城店さんでのおはなし会。そのお話はまた次回として。 コーヒーのお話―その3 その1で、「ホット」という言葉を書きましたが、関西圏のある一定の年齢以上の方で、東京でコーヒーを注文したかたなら、一度は経験されたでしょう。 私もこちらに引っ越してからしばらくは、慣れませんでした。 ホットといえば、ホットコーヒーですがな。ホット1つ、と言うて、「なんのホットですか?」と聞き返されたら、なんやらむっとしますな。 そうは頭では分かっていても、いちいち「なんのホットですか?」と聞かれたら、あまり気分がようありませんでした。
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2009.1126 |
コーヒーの話―その2(続き) ほとんど溶けない摩訶不思議なコーヒーに出会い、四苦八苦のヨネやん。 これであきらめるヨネやんではありません。再チャレンジです・ 翌朝、学校の事務員さんにご報告です。 レギュラーといえば野球の選手、ドリップやのうてトリップなら聞いたことある英単語、なんにも知らんヨネやんは、レギュラーコーヒーの淹れ方を実演してもらい、淹れたてのコーヒーを飲み、「うまい! これがコーヒーなんか! インスタントとは全然味が違う!」 思えばこの日を境に、レギュラーコーヒーを飲むようになったのでした。もちろん、寮生活の中で飲めるわけもなかったのですが、道具一式を持っている先輩に飲ませてもろたりして・・・。そのうち、喫茶店でもえらそうに飲むように・・ インスタントしか知らなかった、コーヒー通(つう ではなく、こーひーどおりですな)のヨネやんのお話、これにて一巻の終わり。
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2009.11.25 |
コーヒーの話―その2 その1では、最強と思われる、片手鍋取り置き・沸騰コーヒーのお話をしました。 大学時代に、まあいろんなアルバイトをしましたが、「宿直」というものもありました。学校や幼稚園に泊り込むわけです。 さあ、この後どうなる? |
2009.1124 |
素適な出会い 先月、名古屋の書店さんを訪問した際、素適な書店員さんと出会いました。 |
2009.11.21 |
コーヒーの話―その1続き 奈良県田原本町・24号線沿いのとある食堂にて。 おばちゃんにホットを注文し、カウンターに置いてあった新聞を読み始めました。 新聞に目を落としながらも、おばちゃんがどうやってコーヒーを淹れるんか、興味津々。ちらちらと、カウンターの向こう側のおばちゃんに目を走らせます。 他の客さんのランチを作り終えたおばちゃんは、流しの向こう側に置いてあった片手鍋をガスコンロに置き、点火しました。 おばちゃんは、コーヒーカップを取り出してコンロの横に置き、沸騰した鍋を火からおろし・・・・・・、 「はい! おまっとうさん!」 カウンターにコーヒーカップが置かれます。 心の声を胸にしまい、舌が火傷しそうな熱々のコーヒーを無事に飲み干す、哀れな私。 出したお金ももったいなく、気持ちを静めるあの日のわたし。 今まで飲んだ中で、最強の部類に入る「コーヒー」でした。 |
2009.11.20 |
コーヒーの話―その1 山辺の道あたりに思いを馳せていましたら、コーヒーにまつわる出来事を思い出し、続いて記憶がつながり、別の話も色々思い出しました。 奈良県田原本の とある最強のコーヒー 別に山辺の道から近いわけではありませんが、記憶が呼び起こされたのです。 学生時代にたまたま見たテレビ―陸上競技か何かの全国中学校大会でした―に、田原本の生徒さんが出場していたのです。 さて、車を運転して24号線を南下し、確か橿原市の八木辺りに行ったときではないかと思うのですが、途中でのどが渇き、時間の余裕もあったので、「どっか、
喫茶店でもないかいなぁ?」と探していたところ、田原本に入ってしばらくした辺りで、1軒のレストランのような、喫茶店のような建物を発見! 「お腹はすいてないけど、ここコーヒーはあるんかいな?」 「・・・ホットがあるんか。でも、このおばちゃんはコーヒーを淹れる、っちゅう雰囲気やないけどなあ。オシャレなエプロンやのうて、これぞ前掛け、ちゅうもん付けてるし。味噌汁を入れるんやったらわかるけど、まあええか。いまさら店 出られへんし・・・」 「おばちゃん! ホット!」 「はーい。ちょっと待ってやぁ」 (続く) |
2009.11.18 |
邪馬台国? 奈良県桜井市の纒向遺跡から「卑弥呼の宮殿か!」という大型建物跡が出てきました。 山辺の道は、私らが歩いたとき、天理駅から石之上神宮を通って、柳本の長岳寺、崇神陵・景行陵〜檜原神社・玄賓庵〜大神神社、三輪駅あたりまで、こんなコースでした。健脚というわけではないので、道からそれて箸墓古墳によることもなく、ぼちぼちと歩いていましたね。 あのすっかり寂れた巻向の駅が、にわかに東京の新宿駅みたいに賑やかになって 奈良市内も、今や「奈良町」といわれ観光コースにもなっているあたりなど、地元の人間以外ほとんど誰も見ることがなく、私らがそこへ行くのは、庚申さんに お参りに行くときか、なんとなくぶらぶら歩いているときか、友人の下宿へ行く ときか、くらい。同じ古都とはいえ、京都とは全く違う、田舎のひなびた雰囲気がたまらなく好きだったのです。もっとも、住んでいるうちからどんどんハイカラになってきましたが・・・。 当時は、まだまだ冬は寒く、春・秋といえども朝は冷え込む盆地でした。 |
2009.11.16 |
パン焼き器で火傷をする―その2 焼きたてのパンを、パン焼き器から取り出そうとするヨネやん。 そのときです。 熱っ! やれやれ、結構大きな水ぶくれは出来たけど、このまま治るんちゃうかな? そういう甘い期待を持った頃、災害は忘れた頃にやってくる・・・。 水ぶくれが破けたとき、それからが大変でした。 こら、かなり痛い。我慢が足りんのとちごて、ほんまに痛い! それから、眠れぬ夜を過ごし、朝になってから早速病院へ。 抗生物質を塗ってもらい、薬をもらって、治療。 それから5ヶ月近く、未だに私の左腕にはくっきりと火傷の跡が・・・。 我慢して重症化・・・、最近の福祉切捨てと不況で、そのような方がかなり増えています。我慢も限界でっせ。 |
2009.11.14 |
火傷をしました。 古い話で申し訳ございませんが、夏前に結構ひどい火傷を・・・。 妹の家に夫婦で泊まらせてもろたとき、朝は焼きたてのパンを出してくれたんです。これが美味しいの何の。 その日は、家の中に1人。 さて、焼きあがったパンを取り出しに台所へ。手袋をはめて、お釜を取り出し、逆さにして、ちょっと揺する。そうすると、焼きたてのパンが・・・。 そこで、とんでもない事件が!!!
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2009.11.13 |
近頃都に流行るもの オリンピック招致 無駄遣い 責任転嫁 開き直り 再チャレンジ え〜、この話題は、あまりに腹立たしく、笑い話にも出来ず楽しくないので触れたくはなかったのですが、都知事の「再度立候補」発言を聞くに及び・・・・・・。 招致のために、都民の税金を200億円(招致費用150億円以外に、隠された費用が山のようにあるらしい)も注ぎ込んで、大騒ぎの挙句に、無残に敗れ去り、「JOCが悪い。政治力が働いた」などといつもの責任転嫁。「150億なんて、痛くも痒くもない」と開き直り。 商店街にはためいていた「オリンピックを東京へ」というフラッグは、乏しい商店街振興予算から出させたようです。イベントに呼んだタレントやスポーツ選手の出演料だけで、2億4000万円とか。 お金が無い? ここにあったやんか。オリンピック招致に使った費用を保育園作りに使えば、何箇所出来たでしょう? 何人のお母さん・お父さんや子ども達が救われましたか? 今、何かといえば「財源が無い」のオンパレード。日夜そう言われているので、「ないんやったら、しゃあない」と思わされますが、騙されてはいけません。オリンピックに使うお金があるんです。「ムダだ」とマスコミが報道しないところにこそ、巨大なムダが隠れてますな。オリンピックが好きか嫌いか、ではなく、要はお金を何に使うんか、ちゅうことですわね。 「毎月家計は赤字。火の車やけど、みんながどんだけ不自由しても、お父ちゃんのパチンコ代だけは、確保しまっせ! ストレス解消やもんなぁ」と、なんのか、「子どもらも文房具や服が古うても我慢してんのに、競馬や!競艇や!いや競輪や!なんてもってのほかや。何が、勝負勘を磨いて仕事に活かすや! タバコ税も上がるらしいから、禁煙もしてや! お父ちゃんの健康のためだす!」と、なんのか。 ぜひ、都知事のポケットマネーで招致運動して欲しいもんですな。
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2009.11.12 |
長らくお休みをしてしまいました。インフルエンザだったわけではありません。 |
2009.10.18 |
フランさん&藤田浩子さんとお食事 小さな私達夫婦と、大柄のお二人の凸凹お食事会。 |
2009.10.16 |
高橋エミさんのステージ 先日、奥さんと二人で高橋エミさんのコンサートに行ってきました。 |
2009.10.15 |
自転車ひじ3―寒さが骨身に沁みるの巻 やせっぽちで人一倍寒さに弱いヨネやん。 「ちょっと、ちょっと、ヨネさん。なんぼ冬やいうても、着込みすぎですよぉ。 太っていた後輩の言葉に、目からウロコのヨネやん。それ以来20年、この知識を信じて疑いません。しかし、果たして医学的に本当に正しいことなのかどうか、それは定かではありません。悪しからず。 それで、妹さんの自転車肘の話は? またの機会に。 |
2009.10.7 |
自転車ひじ・・・第2話 自転車を駐輪場に止めるだけで、「自転車ひじ」を患い、苦しんでいる哀れなヨネやん。 妹は4年位前まで、宮城県に住んでいました。瀬戸内生まれの妹が、秋田から始まって、東北地方を巡回していたのです。転勤族の旦那さんにくっついてね。 ある日、妹から電話がありました。 人一倍寒がりの私は、話を聞くだけで悪寒が走ります。 それで、自転車ひじの話は、どないなったんですかいなぁ? まあまあ、そう慌てなさんな。 |
2009.10.5 |
肘が痛い。 最近、右ひじが痛みます。 雨のときとか、寝てるときにも痛んだりします。 |
2009.10.4 |
県民性って・・・。 1日にたまたま「ケンミンショー」を観てしまいました、初めて。短い時間しか観ていませんが・・・。 そう考えますと、道州制なんちゅうもんは、えげつないですわ。 |
2009.10.3 |
『白旗の少女』をテレビで観ました。 沖縄戦は軍隊の本質をくっきりと現していると思うのです。 そんなことを考えながら、番組を観ていました。子役の子が熱演していて、感情移入してしまいました。 |
2009.10.2 |
子どもの本まつりinとうきょう その3 上野公園2日目に、小学校高学年とおぼしき少女2人組がやってきました。もちろん初対面です。 本が大好きみたいなのです。あちこちの出版社の目録を袋いっぱいに集めています。 しばらくするとまたやってきて、 ・・・そうです。読者の皆様もお気づきだと思います。「知事」とは、都知事で その後狭いブースに陣取って、何度もやってみせろ、と言うものですから、 子どもたちが好きなだけ本を読めるような世の中になって欲しいものです。 |