こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。
このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、
興味のあるものからお読みください。


【恐怖のエアコン】その3  2010.6.30

さてさて、エアコンをかけるときは、当然のことながら窓を全部閉めますね。
他の部屋に冷たい空気が流れていったら効果が無いですから。
障子だのなんだの全部締め切って、個室というか密室になります。

この状態をまず想像してみてください。
そう、時は真夏。熱帯夜です。
ここは、北海道ではありません。東京です。朝晩の温度は、日中とそれほど変化無し。
いつもながらの熱帯夜です。
想像できましたか?

部屋は、締め切っています。窓は勿論、隣の部屋を仕切る障子も。

さあ! この部屋に、アナタが寝ています。

そこへ魔の手が!!
エアコンを暖房に切り替えて、熱風を吹き込みます! それこそ、がんがんと。
どうなります?

ほとんど、殺人事件ですな。
東京では、締め切っていない部屋で、自然の風を頼りに過ごそうとして、熱中症になって亡くなられるケースがあるんです。
不景気の昨今はなおさら、光熱費削減の為、こうしたケースがあります。
エアコンをがんがんかけたら、電気代もうなぎ登りやもんね。

そんな状況で、よう目を覚ましたもんです。もしかしたら、そのまま目を覚まさなかったかもしれませんぜ。永久に。

ああ、壊れたエアコン。
奈良での取り外し代+東京での設置代・・・、あげくに壊れていて、あわや!という事態に!!
泣きっ面に蜂 とは、このことですわ。

お金が仰山あるおうちは、「引っ越したから、全部新しゅうしまひょ」とか、できるんやろけどねぇ。

とほほほ。
(引越し屋さんが良心的で、新しいエアコンの設置代はおまけしてくれました。
地獄に仏 とはこのことですわ)


今日の格言

金は ごく一部の天下で まわしてる
(下界には、下りてこず)

 

【恐怖のエアコン】その2    2010.6.28

寝つきはあまり良い方ではありませんが、涼しくなって気持ちが良かったのか、早々に寝付きました。

それから、どれくらいの時間が経ったでしょう。
だれかが覆いかぶさってくる夢を見ました。小錦さんのように、ものすごく太った、しかも暑苦しいおっさんです。

やめんかい! どいてくれ! 
暑い!息苦しい!
助けて〜!誰か〜!
死ぬ〜〜〜!!

こういう夢のときは、大声を上げたいのに声が出ないんです。
必死で逃げようとしてるのに、足が動かんかったり、はらいのけようとしても手がスローモーションのようにしか動かんかったりね。

ということで、もがき苦しみながら、はっっと目を覚ましました。

危な〜!死ぬとこやったわ。

ここで、意識が現実に戻りました。

暑い!無茶無茶暑い!
こりゃ、アカン! ほんまに死んでしまう!

急いで、窓を全開にします。隣の部屋や、台所の窓など、ありとあらゆる窓を開け放ちました。

なんで、こんなに暑いんや!

そのとき、あるモノの異変に気づきました。
エアコン!

エアコンから、なんと、暑い空気が出ているんです!

ここで誰もが思うでしょう。冷房と暖房を間違えたんやな、と。
私もそう思って、エアコンを調べると、やっぱり冷房になっています。温度調整もばっちりです。

そしたら、エアコンから出てくる熱風は、なんで?

修理に来てもらって判明しました。室外機の故障です。
なんと、ここに持ってくる段階ですでにおかしかったようなのです。でも、設置して試験運転したときには、正常に動いたのです、いや、そのときだけ、正常に動いてしまったのでしょう。

 

引越し  2010.6.26

引越しシーズンはとうに過ぎてしまいましたが、甥の引越しから、自分自身の引越し体験を思い出しました。

名づけて、【恐怖のエアコン】


奈良から東京に はるばる引っ越してきたときのこと。
向こうですべての荷物をトラックに積み込み、もちろんエアコンもまだまだ使えるわけですからはずしてトラックに載せました。
私は、新幹線で1人東京へ。連れ合いは、実家に泊まって東京で待機しています。

翌朝、昨日「さよなら」したばかりの引越し屋さんとまたまた顔をあわせて、新しいアパートに荷物を運び入れます。

食器棚から、本棚から、衣類やら何やら、すべて運び入れて、最後にエアコンを設置。動作を確認して、「はい、お疲れ様でした」。

引越しはすべてお任せなら楽でしょうが(お金はかかります)、荷物を運び入れてからが大変。
荷物を解いて、また箪笥だの引き出しだのに整理していくのは、考えるだけで気が遠くなります。

ようやくそれも終わって、しばらくたったある日のこと。
その日は、私1人でした。
妙に蒸し暑い日で、エアコン嫌いの私でも、さすがに東京の蒸し暑い日は耐え切れず。エアコンを入れて寝ることに。


「エアコン、入れるんやったら、窓 閉めとかんとな。
そういえば、引っ越してから初めてやなあ。エアコンを使うのは・・・」

そう、かすかに思いながら、涼しくなった部屋で布団を掛けて寝ました。
(滅多にエアコンを掛けて寝ることはしませんが、かけるときは、「やや涼しい」
くらいにして、厚めの布団をかぶって寝ます)
(扇風機は大の苦手。これを掛けたまま寝ると、必ず風邪をひきます!)

(続く)

 

痛い 五十肩  2010.6.24

自転車肘の痛みから、これはやはり五十肩になってしもたに違いない、という結論に達したのは昨年のこと。

まだ治りません。

上着を着るとき(袖を通すとき)、上にある荷物などを取るとき、寝ているとき・・・などに痛みます。
良くなりません。

諸先輩方のありがたいご忠告に従い、一切の治療を拒否しているヨネヤン。
「そんなもん いつかウソみたいに治るで。病院たら行くんは、ムダムダ。時が解決する」
なるほど、なるほど。お金を使わんっちゅうとこがミソやな。これ、いただこ!

そう思って、早10ヶ月強。
待てど暮らせど 楽になりません。じっと、肩を見る。

ついに、五十肩体操を始めました。ネットで調べて。
それでも、痛みは取れません。
やっぱり、医者に行くべきか、いやいやここまできたら初心貫徹すべきか。実に悩ましい。

そんなことよりも、今日というか明日というか、真夜中に日本代表の試合があるのですから、そんな日にこんな話題は似つかわしくありませんね。

明日の朝は、どうなっていることやら?
日本代表も、私の肩も。

 

間違い留守番電話・・・2010年6月編その2   2010.6.19

個人の方からその御友人に当てた留守番電話を受け取ったヨネヤン。

困ったこっちゃがな。東京の人やなあ、年配の。75歳は過ぎてる感じかなあ。
この「わたし」さんは、絶対Aさんに伝えたと思うてるやろなあ。
Aさんから、「そんなメッセージ、聞いてない」とか言われて、
「いえ、入れました」「入ってなかったわよ」
「ちゃーんと、録音しました」「留守番電話は毎日チェックしてるんですのよ」
「それでも入って無いと、言い張られるの? ということは、Aさん。あなた、私がボケてると、そう仰られたいのね」
「そんなつもりじゃないわよ。入ってないもの入ってないもの。そうしか言いようないもの」
「ねえ、Sさん。わたし、あなたも来るって、Aさんの電話に入れましたわよね」
「いえ。いえ、というか、私は知らないわ」

とか、延々と続く、修羅場になっていなければいいのですが・・・。
まあ、今日会うんやったら。問題ないか。これが・・
「Aさん。今日はね、お会いする時間を○時にしてくださいな。
場所もね、あそこよりも、D駅のほうがいいわ、ね、いいでしょ」
とかいう電話やったら、どないします?

つくづく、まず相手の声を聞いてください。
「わたし」さんの聞いたことの無いヨネヤンの声がしゃべってるんですよ。
コンピューターの声でもないんでよ、関西弁のイントネーションがちょろっと出てるメッセージですよ。

しかも、しかーも! 「一声社です」と名乗ってるんですよ〜!
Aさんの声ではなかったでしょう?

まあ、しゃあないですわ。聞いたことの無い声やったら、竿竹売りのアナウンスと同じようなもんやろからね、コンピュータだろうが、女の人の声だろうが、何をしゃべってても、興味が無かったらあまり聞いてないやろね。

はてさて、Aさんと「わたし」と、「わたし」のご友人のSさんは、果たして、にこやかに会えたのでしょうか?
無事に楽譜のコピーを渡せたのでしょうか?
楽しいひと時を過ごせたのでありましょうか?
気になるところではありますが、これにて失礼します。

間違い留守番電話・・・2010年6月編その1  2010.6.17

またまた、間違い留守番電話が録音されていました。

何べんもいいますけど、うちの留守番電話はコンピューター音声ではなく、私ヨ
ネヤンの声で、
「はい、一声社です。ただいま留守にしております・・・」
と、メッセージが入っているんです。

それで、「一声社、という会社に電話掛けたらしい」と分かりそうなもんですけ
ど、やっぱり間違い留守電が入るんです。

つい先週の、間違いは・・・。

あっ、留守番電話が2件入ってるわ。なんやろ?
1件目は、読者さんからの問いあわせやな。あとで、電話せな。ちょっと、聞き
づらい。肝心の番号が聞こえにくい、まるで、受話器をハンカチでくるんだよう
に声がこもってるし、遠い・・・。
もう1回聞かな。よし、音量を大きくして、ゆっくり再生にしてみよ。なんとも、
間の抜けた声になったけど、なんとか聞き取れた。
みなさん、メッセージは、大きな声ではっきりとお願いします。

とか言うてたら、もう1件、聞くの忘れてたやんか。
ぽちっと・・・。

「もしもし、Aさん? わたし。
わたしね、今日、Aさんとお会いするのを、とても楽しみにしておりますの。
Aさんのお友だちの、Sさんも来られますよ。
そうそう、お願いされた楽譜は、ちゃーんとコピーしていきますよ。
それではね。
あとで。
お会いするのを楽しみにしておりますよ。ガチャ」

(続く)

 

ああ間違い電話・・・第何弾?  2010.6.15

一声社の留守番電話に、◆書院さん宛の書籍注文を吹き込んだおばさんのお話は、
すでに披露いたしました。

間違い電話で困るのは、もう1つ。
普通の電話番号に、ファックスを送ろうとする電話。
しかも、(うちのファックス機もそうなのですが)機械から送信すると、相手方
が通話中とかで不達の場合、自動的に何度か送ります。
これは、便利な用で不便。
何が不便かといいますと、ファックスではない番号なのに、次々に「ピー〜、」
という例の信号音を何べんも聞かなアカンことですな。

リーン、リーン
「はい、一声社です」
「ピー〜、フニョロロロロォ〜」

ここで、ムダを分かりつつ受話器に向って叫びます。
「これ、ファックスと ちゃいまっせぇ〜!」

しかも、何度も続きます。
リーン、リーン
「はい、一声社です」
「ピー〜、フニョロロロロォ〜」
「またや、これは電話番号ですっ、ちゅうとんのに〜」

リーン、リーン
「はい、一声社です」
「ピー〜、フニョロロロロォ〜」
「すみませ〜ん、ファックスやめてくださいやぁ〜」

で、次に電話が鳴ったときに、またファックスかと思うて、いちいち名乗るのも面倒で黙っていると、
「もしもし、もしもし! なんで黙ってるんですか! 失礼でしょう!」
と、怒られます。

きょうび、これだけ技術が発達してるんやから、
ファックスで普通の番号にかけた際、「違います、掛け直して」サインを相手方に送ることくらいできそうなもんですけどなあ。

「こんにちは! ○○Tです。今日は、通話料がお安くなるお知らせです」
とか、営業の電話をバンバンかけてくる人件費を、「ファックスと違います」サインを送る開発費に回して欲しい! 切に願います。

ちなみに、「お安くなるお知らせです」と言われたら、
「安くなるんやったら、いちいちこっちに断らんと、躊躇無く下げてください。
文句は言いません。勝手に値上げしたら怒るけど」
と、言って静かに受話器を置くことにしています。

哀しき語呂合わせ その3の続き  2010.6.12

お店の宣伝看板に書いてあった、電話番号の語呂合わせとは!

みにくいほど うつくしい (醜いほど美しい)


「なんと、哲学的な表現やろ。よくぞ、そんな言葉に会うような電話番号があったなあ。いや、ここのお店の社長はんが、きっとそういうお人なんやろ。哲学とはあまり関係ない業種みたいやけど、ベレー帽をかぶって、パイプかなんかをくゆらせながら、木のイスに座って、日がな一日考えてるんやろなあ。
『ああ、人生とは何ぞや。進むべきか退くべきか、それが問題だ。人間は考える葦である』とか・・・」

でも、よく見ると、醜いの「み」の字と、その下の数字の「3」が手書きなんです。
これも不思議でしょう。ここだけ手書きにする意味が、何やら宇宙規模の遠大な思想の表現のようでもあり、ただ単に間違えたとも言え・・・。

そこで、はたとその原因を思いあたり、駅のホームで1人、笑うやら感心するやら、大忙し、ですがな。

さて、1文字1数字を手書きにした、その意味は!

東京の市内局番が、3ケタから4ケタに変わったからです!

私が東京にやってくる4年位前に、4ケタになったんですね。
我が社も、03-812-0281から、03-3812-0281に変わりました。
これ、4ケタにするほうはそれでええけど、されたほうは困りまっせぇ。
何がって、会社やお店・サービス業なんかで、電話番号を語呂合わせにしているところですがな!

ハトヤさんは市内局番とは違いますが、あれが市内局番の4126やってみはれ。
もし、4ケタの市内局番が5ケタになったとしましょう。
頭に3番が付いたら、34126=見よい風呂 になって、何やら覗き見趣味みたいになってしまいます。
頭に6番が付いたら、64126=蒸しい風呂 になって、サウナばっかりみたいやし。
8番が付いたら、84126=弥生風呂 になってしもて、3月の風呂ってなんやろ?
 お雛さんでも並んでるんかいなと、誤解を受けますがな。痛手でっせ〜!ハトヤさんも。

話は横にそれましたが、つまり!

にくいほどうつくしい(憎いほど美しい)という極めてストレートな、シンプルな、だからこそ万民に受け入れやすい語呂を考えてはった社長はん。これで駅の看板も設置してるわけですわ。お金も掛けてます。
それやのに、そこへ無理無理、頭に3番を付けろっちゅう無理難題。
どないします?

しゃあないですがな。無理やり、3番をつけて、語呂も無理やりですわ。
「憎いほど」が「醜いほど」になってしもたんですな。

看板はどうします?
これまたしゃあないですわ。せっかく作った看板や。捨てるのももったいない。
地球環境にも悪い。再利用せな。
ある日、社長はんが自分で駅まで歩いていきますな。ペンキと筆を持って。
電車が無い時間ですから、物凄く早朝か、深夜ですわ。だれもおらん寂しい駅ですわ。
社長はんはたった一人で、自分のお店の看板の前に立ちますな。

「ああ。ええ語呂やったのになあ。いや、考えてもしゃあない。さっさと終わらせよ」

そう、自分を慰めながら、おもむろに看板に筆を入れます。
まず、市内局番に新しく加わった「3」番を書き入れます。
次に、・・・

「ちょっと苦しいなあ。無理くりやなあ。いや、しゃあない。さっさと終わらせよ」

そう言いながら、新しく書いた3番の上、「憎いほど」の「に」の前に、一文字書き入れます。

「み」と・・・。

こうして、その数年後、奈良から箱根の山を越えてはるばるやってきたあるおっさんが、発見するのです。
「醜いほど美しい」
という名文句を!

(完)

 

哀しき語呂合わせ その3  2010.6.10

♪伊東に行くなら ハトヤ 電話はヨイフロ 4126・・・

いきなり、ハトヤさんに宣伝をしてしまいました。
関西に住んでいた私なのに、伊東も熱海も見たこともなかったのに いつでもどこでも歌える この名調子。

やっぱり電話番号は、語呂合わせですなぁ。

・・・と、誰もが思ったのでしょう。
東京に来てびっくりした、というか、思わず笑うたというか、感心したことがありました。ええ、そうです。電話番号の語呂合わせで・・・。

ある駅にお店の宣伝看板がありました。
線路の向こう側の壁に、いくつもの看板があります。
あるとき、何気なく1枚の看板を見ていますと、そのお店の電話番号の上に、語呂合わせが書いてありました。
最初は全く気づかなかったのです。ぼーっっと見てましたから。それで、なかなかええこと書いてるわ、とか思うてたんです。
しばらくじーっっと見ていて、異変に気づきました。
活字ばかりの看板なのに、語呂合わせの一文字と、その下にある電話番号の数字の1つが明らかに手書きなんです。なんで?

なんや、けったいな看板やなあ。どういう効果を狙うて、文字と数字の1つずつを手書きにしてるんやろ?

なにか素人には計り知れない、プロの看板屋さんならではの狙いがあったのかもしれない。

と、ちょっと物の分かったおっさん風に、あごをなでながら、渋い表情で看板を眺めてみます。
ぱっと見ただけでは分からなかったその看板の底知れぬ奥深さ、いや苦し紛れの面白さが、分かったのです!
(以下、もしもそこのお店にいたずら電話がかかっては申し訳ありませんので、実際の電話番号や語呂合わせとは違うものを書きます。あしからず)


その看板に書いてあった語呂合わせとは・・・・
次回に続く・・・。

ああ、哀しき語呂合わせ その2  2010.6.5

電話番号の語呂合わせ、なんて、今もみんなやってるんですかね?
いや、ほとんどやってないでしょう。携帯だろうが、固定電話だろうが、相手先はほぼ登録してありますもんね。自分の携帯番号さえ、他人に教えようと思うたら、いちいち調べんとわからんような人間になってしまいましたわ、わたしも。

昔、携帯の無かった時代、かつ黒い固定電話やった時代、結構の数の電話番号を覚えていたんです。今では何の自慢にもなりませんが・・・。

「○○の電話、何番やったっけ?」

「ああ、0000-00-0000や!」

「すごいなあ、お前。歩く電話帳やなあ」

などとおだてられ、すっかり気を良くしていたもんです。
最高に覚えていたときで、たぶん、100人近くあったでしょう。
今の人はちょっと驚くかもしれませんが、別に珍しくなかったんです。もっと覚えてる人かておりましたでぇ。

でも、あまり調子に乗るとあきまへん。
「■といえば、○番!」と頭に浮かんだ番号で、躊躇無くダイヤルをまわしますから、時々間違えます。
ダイヤルの間違いもあるんですが、あまり電話しないような相手やと、うろ覚えちゅうこともあるわけです。

「■に電話して!」
「よっしゃ。え〜と、○○○と・・・。リーン、リーン、リーン(ちなみに、今、
「リーン」って鳴る電話、あるんでしょうか?)
ガチャ。おっ、■の奴、今日は3回で出よったで。」

(相手が名乗らない前に)
「おい! ■! 何、しとんねん! 今、何時やと思てんねん! はよ、来い!」
「どこへ?」
「どこへ? やあるかい、近鉄奈良駅の行基=通称奈良坊主に、12時集合やろ?」
「はあ?」
「はあ?って、お前、何とぼけとんねん。12時って決めたん、お前やんけ!」
「すみません、どちらさんですか?」
「お前、どこまで・・・」

と、怒り心頭、むかっ腹が立って、怒鳴り散らそうとしたまさにその時、隣にいたAが、突然言いました。
「お〜い、こっちや、こっちや〜。おい! ■の奴、来たぞ! 遅いやんけ!」

「えっ? ■が来た? すると、今、電話に出てるあんたは?」
「あんたこそ誰です?」
「失礼しました!」

これ、ほんまにあった話です。
昔の固定電話にはもちろん着信履歴なんか残りませんから、誰が電話をかけたかわからんわけです。大急ぎで切って、「ああ、よかった」と胸をなでおろし、それで何も無かったかのように振舞いますな。

ここまでいかんでも、掛け間違いは結構しました。
つまりは、電話番号を100人くらい覚えている、と豪語したところで、そんな程度やったというわけですわ。

学生の頃は、電話のマナーもなってませんから、電話に出た相手にいきなり話しかけて、結構恥をかきました。
一番多いのは、自宅通学の友人の親や兄弟姉妹が電話に出たとき。
男やったら父親か兄弟、女やったら母親か姉妹。これがまた、声がよう似てるんですわ。
そいつやと思うて、いきなり用件を話し始めて、全然通じひんかったことが、ぎょうさんあります。

まあ、機械に電話番号を覚えてもろて、間違いせんよりも、人間的かもしれまへんけどなあ。

 

ああ、哀しき語呂合わせ  2010.6.3

なんと大きな平城京 710年
いい国つくろう鎌倉幕府 1192年

などなど、懐かしさ一杯の日本史の年号・語呂合わせ。
「なんと大きな平城京」は、なんと!という感嘆語と「南都」をも掛けていると
思われ、その奥深さにただただ脱帽するばかり。帽子をかぶっていない人は、ど
うする? ただやだ、脱鬘(かつら)するばかり・・・。

でも、で〜も!
鎌倉幕府の創立は、1192年ではない! らしい。
今の教科書では、1185年とか書いてあるそうな。

歴史の研究が進むと、解釈も当然変わってきます。
分からなかったことがわかって行くのは、大いに歓迎。でも、昔の教育を受けた
ものは、取り残されていきますね。これまた、致し方ないこと。

「円周率は、約3とする」とか、「台形の面積は教えない」とか、「月は、満月
と半月だけ」とか、何のためにそんなことをしたいのか全く意味不明の教育(文
部非科学省による)に較べたら、鎌倉幕府が「いいくに」だろうが、「いいやっ
こ」だろうが、全く問題なし!

大いに研究を進めて、私らを古い人間にしていただきたい!

ちなみに、非科学的な、朝令暮改の教育を受けさせられる子どもがかわいそうで
すね。
お月さんなんか、お空を見上げたら、わかることですやん。
三日月を見て、「あれは、月とはちゃう。見たらアカン」とか、教えなアカンの
ですかね?
まあ、今書いてきたような、けったいな項目は、やっぱり新学習指導要領では、
なくなりました。でも、元に戻したらそれでええんかっちゅうんですわ。
変な教育をした責任を取ってもらいたいもんですな。

大雨 その3  2010.5.30

「え〜! ようやっとここまで来たのに、また帰るん?」

しゃあない。
憮然として、ヨネやんは家路に着く。

中学校最寄のバス停まで行ったが、バスはすでに全面運休。
「なんやあ どないして帰るん?」

そう嘆いていても始まらん。歩いて帰るしかなかろう。
おそらく、一里=4キロほどではなかろうか?

この頃になると、水は益々あふれ、道路はすでに「流れるプール」。
といっても、一番深いところで、中学生の私の股下くらい。

ざぶざぶざぶ

道路には色んなものが流れてくる。
ほとんどがゴミだ。でも、流木のようなものも流れている。

普通に歩いても1時間くらいはかかったろうが、なんせ水中ウォーキングですから。時間がかかる、かかる。

「お〜い!大丈夫か!」

途中、見知らぬ男の人に声をかけられたけど、にっこり笑って答えた。
「大丈夫でーす!」

小学生の頃を思い出して、昔の血が騒いだか、この頃にはなにやら楽しくなってきていた。
ざぶざぶざぶ と、泳ぐように歩くのが。

相当の時間をかけて家にたどり着いたとき、母がびっくりして言った。

「やぁやぁ、どないしたん! ぐっしょりやん」

「うん、学校に言ったらな、休校やいうから、歩いて帰ってきた。バスも走ってなかったし」
ということで、道路の状況やら、歩いた時の様子を話した。

目を丸くして聞いていた母は、その後あちこちに電話して、息子の武勇伝を勝手に作っていった。

「ふんふん、そうなんや。大雨やったやろ。
電話がなあ、かかってくる前に家を出たんや。うちは遠いんやから、先に回してくれたらええのになぁ。よう言わんわ。
そうそう、道路が水浸しやったんやて。溝があふれて、はあ、よう落ちんかったこっちゃ。
そうやがな、歩いてな、帰ってきたんやがな。バスが走ってなかったんやて。

そうそう、お尻まで水に浸かってなあ。」

この「お尻まで」のくだりが、次に電話した人には、「腰まで」になり、その次の人には「ヘソまで」に、やがて「胸まで水に浸かった」話になっていったのは、致し方あるまい。

ヨネヤンの語りは、母親の「騙り」の遺伝ですな。

(おわり)

大雨 その2  2010.5.28

子どもの頃、台風とか大雨とか地震、というと妙に興奮してしまった。
恐ろしさを何も知らないものだから、「いつもと違う」というだけで興奮してしまう。
すごい風が吹いていたり、横殴りの雨の中を、歩いていくのが、なにやら、「悪」に立ち向かうヒーローのように思っていたのだろう。

大きな水溜りがあると、必ずばしゃばしゃとそこを歩き、強い雨風の中カサをさしていると、わざとカサがひっくり返るようにし、車が水をはねていったら大喜びして水をかぶり・・・。

でも、だんだん怖さがわかってくると、そんなことはしていられない。

私が中学生の頃、激しい集中豪雨があった。
奥の方では、山津波があり、小学校が埋まった。

その頃、引越しして、中学校からかなり遠いところに住んでいた私は、朝家を出るのが早かった。
前日来の雨が益々激しくなり、警報も出たので、「休校」が決まり、連絡網が回された。
しかし、私の名前が五十音順では一番後ろのほうだったのと、朝早く家を出てしまうのとで、電話が掛かってきたのは私が家を出てからかなり経ってからだった。

最寄のバス停に行くまでにすでにずぶ濡れになり、ようやく来た満員状態のバスに乗り込む。
バスは、水陸両用車のように、水があふれた道路をゆっくり走る。
道路の横には溝があるのだが、水があふれているので、どこまでが道路かどこが溝か全くわからない。

この点は、小さな頃から親が何度も注意していたことだ。
「溝があふれたら、道路と溝の区別が付かんから、絶対に道路の端を歩くな」

ようやくの思いで中学校に着く。
ちなみに、中学校は小高い山の上にあった。坂道を登って、正門までたどり着くと、教師が数人待っている。
「お〜い! 今日は休みや〜! 家に帰れ〜! 警報が出たぞ!」

いつも思うのだが、警報が出たということは危ない状況なのだろう。その中をわざわざ家に帰すほうがもっと危なかろうと思うのだが・・・。

 

大雨  2010.5.26

先日、故郷の兵庫県一帯でも大雨が降りました。
姫路の市川という川が増水し、山陽本線も止まったのです。
幸いけが人は出なかったようですが、昨年夏には佐用町で集中豪雨。18名の方がお亡くなりに(+行方不明2名)。

ここ東京でも、降るとなったらその量が半端ではない。まさに、熱帯地方のスコール。地球温暖化―特に東京はどでかいビルとコンクリート・アスファルトなどで、猛烈な暑さになり、上昇気流が生まれ・・・という話。

集中豪雨とかスコールが降る回数は、私らの子どもの頃に比べ格段に増えている感じがする。
しかも、開発。山に木がなくなり水を溜められず、田んぼが減って同じく貯水できず、地盤が緩み、山を削った宅地はいつも崩落の危険・・・。
一旦大雨が降ると、水が一気に流れ出し、被害が甚大になる。

これは人災ではないのだろうか?
「安全保障」と言うと、軍事的なことしか話題にならないけれど、国土が荒廃して災害が多発する―国民の命や財産を守れない・・・これは、「安全」が保障されていないということでは?
食料自給率がこんなにも低く、他国からの輸入がストップしたらたちまち飢えてしまう・・・これも、安全保障されていないのだろう。

だいたい、年間3万人以上が自殺する国で、軍事的な安全保障をとやかくいうところが不思議だ。
「抑止力」というなら、自殺抑止力を働かせて欲しいもんですな。

 

  2010.5.24

ああ、若草山は 涙に濡れる―の巻 その3

若草山山頂で、奈良の皆さんに自己紹介をし、かつ芸をして好きな女の子の名前を言い、全員で肩を組んで寮歌を歌った・・・
それだけでも充分すぎるほどの歓迎ではあったが、今から寮まで走って帰ると言う。
すでに、コップ酒を2杯のみ、山登りもして体の中をアルコールが巡っているヨネヤンは、この素晴しい提案に
「よしっ! 1着を狙う!」
と、俄然ヤル気を出した。

「よしっ! 体が冷えてきたから、もう1杯ずつ日本酒を振舞う。有難くいただけ〜!」
という、極めて親切な有難い提案で、コップ酒をさらにもう1杯飲み干します。
というよりも、わざわざ1升瓶を何本も、若草山の山頂まで運んでたんやね・・・。

「ええか、途中止まるな〜!
途中、寮の先輩がアチコチに立ってるから、迷う心配は無〜い!
ひたすら走れ! 行け〜っ!」

の号令もろとも飛び出したヨネヤン。
若草山を一気に駆け下り、走り続けます。酔いは十分すぎるほど回っています。
なるほど、辻辻に先輩達が立っていて、
「こっちに曲がれ〜」「頑張れよ〜」
などと、声を掛けてくれます。

もう、酔っている上に必死で走っているので、その声にいちいち反応も出来ず、
「くそ〜っ!負けてたまるかいな〜」
と走り続けるヨネヤン。

「今、3番やぞ! がんばれ!」
の、どなたかの声に
「3番か、よし、頑張るぞ!」
と、ペースも上がります。
そのまま3位をキープして、寮の食堂に駆け込んだヨネヤン。

「ようし、ようやった!」

この時点で、日本酒は全身を回っており、ふらふらです。
ほんまに、よう無事やったなあ、といまさらながら思いますわ。
全然お酒に強くも無い私が、結局日本酒を3倍飲んで、結構な距離を走り続けたんですから。

しかし、重大な問題がありました。
新入生歓迎コンパは、ここから始まったのです!
いままでは、単なる前振り。始まる前の、ただの儀式やったんです!

これ以上、書きますまい。
ここから繰り広げられた修羅場は、到底皆様に読んでいただくわけにいかず。
一気飲み(コップの)などという可愛いものではなく、「ビール瓶1本飲み」など1本を丸ごと飲み干すようなことをしていたことだけは、お知らせしておきましょう。

・・・お酒は慣れる・・・
という方がいますが、やはりそんなことはありません。
大学時代、コンパというコンパに出ては、体を痛めつけていたヨネヤンは、決して強くなりませんでした。
逆に、卒業後、体が拒否反応を示しているようです。

在学中に、寮やクラスの後輩を救急車に乗せて運んだ経験から、やはりお酒は恐ろしい、と痛感します。
幸い、私らは無事に過ごせましたが、卒業後、数年して寮で死亡事故が起きました。
親御さんをはじめご家族のお気持ちは、いかばかりだったでしょう。
寮生活は、私にとっては大変意義深いものでしたが、卒業後とはいえ、そんなあってはならない事故が起きたんですから、
「懐かしい」
などというだけではすまされません。

飲むほうも、飲ませるほうも、気持ちよく、のんびりと、笑いながら飲みたいものですね。

 

  2010.5.22

ああ、若草山は 涙に濡れる―の巻 その2

コップ酒を煽って、若草山山頂にたどりついたヨネヤンら1回生。

「よしっ! みんなおるか? 誰も途中で逃げてへんやろなぁ?
これから、山頂の儀式を行う。(また、儀式でっか?)
1回生は、全員前に並べ。よしっ!
こらから、1人ずつコップ1杯の酒を飲んで、自己紹介をしてもらう。
奈良の皆さんに聞こえるように、大きな声を出せ!
ただの自己紹介やないど。
条件がある!

1人ずつ、何か1つ芸をしろ! おもろなかったら、もういっぺんやってもらう。
もう1つ! 好きな女の名前を言え! おっと、誰も知らんような「高校生のときの同級生です」とかいうのは認めん! 同じ大学の奴に限る! ええなあ〜!
分かったら、返事せえ!

「う〜す!」
1回生全員で声を出し、いよいよ儀式の始まりです。
1人ずつ名前を呼ばれます。
確かヨネヤンは、2番目か3番目に呼ばれました。
入学式の前から宿泊したり、入学式に出れんかったり、クラスのコンパで醜態をさらしたのが、寮の先輩方にはとても良い印象を与えたに違いありません。

1回生の中には、「芸ができないので、ここから落ちます!」と言いいながら、山頂から「ごろん・ごろん・ごろん」と回転しながら滑落していった奴もいまし
た。まあ、無事でしたが(恐らく)。

さて、全員のご挨拶が無事に終わりました。

よしっ! 全員終わったな、それでは、全員で「寮歌」を歌〜う!
これから卒業するまで、一体何回歌ったか分からないほど歌った「寮歌」を全員で歌う。
もちろん、この日までに「歌えるようにしとけよ!」という有難いアドバイスをいただいていたので、1回生でも全員が歌えるのである。

祖国大和誕生の地〜 三笠の山懐に抱かれて〜 春日原始林極むる所〜
寂然として佇む桜寮〜
奈良●大学桜寮寮歌 松籟繁く〜

の巻頭言からはじまって、寮歌をがなりたてます。

終わった直後、先輩が宣言します。
「これから、寮まで走って帰るぞ〜!」

(続く)

 

ああ、若草山は 涙に濡れる―の巻  2010.5.20

大学入学早々の新入生歓迎コンパで、危うくこの世とおさらばしかけたヨネヤン。
自分でも「限界を知らんのは、ほんまに危ないなあ」と思ったのもつかの間、いや「喉もと過ぎればなんとやら」。
その後、数日して開かれた、「泣く子も黙る・男子寮新入生歓迎コンパ」に、敢然と立ち向かったヨネヤンだった。
懲りんやっちゃなあ・・・。

寮生以外の先輩方から、
「寮のコンパは、えげつないど」
と、十二分に脅されていた、か弱い1回生のヨネヤンら。

ちなみに、男子寮に入った新入生25名くらいのうち、15名ほどはコンパの前に寮を去っていた。
その理由の第一は、寮内の汚さ。
第二は、毎夜の如く先輩方がお酒を持って訪問してくる有難さゆえ。
第三に、相部屋に嫌気。(1回生は、先輩の部屋に3人くらいずつ詰め込まれていたのだ)
よって、寮の新歓コンパを無事に(?)迎えたのは、10名くらいだった。

「さあ、今日は楽しい歓迎コンパや! 楽しみやなあぁ〜」
と、口では笑っているが目は全然笑うてないS先輩から、不気味に見つめられたヨネヤン。
おしっこ、漏らしそう・・・

夕方、まず、寮で出立の儀。
「今から、若草山まで登る。山頂は寒いから、まずみんなでコップ酒で乾杯して、体を温めとこ」

寮の前の道路に勢ぞろいして、コップ酒を1人ずつあおり、かための杯。
なにやら、出撃前の決死の様相。
夕闇に浮かぶ諸先輩方の笑顔が怖い・・・。

寮の裏手、ささやきの小道から、春日大社の前を通り、東大寺へとみんなで歩きます。
お酒を煽ったせいか、後で待ち受けるコンパのことを考えたくないのか、、
このころはみんな饒舌でした。

いよいよ、若草山です。山に向って右手の山道から、山頂を目指します。

みなさん、奈良の若草山に登られたことはありますか?
このときは、山道を登りましたが、その後卒業までに何度か、正面の柵を乗り越えて、草地を一気に登ったことがあります。
低〜い山に見えますが、正面から一気に登ると、しんどいしんどい・・・。
体がえらい、えらい。結構ハードな筋トレですわぁ。
おっと、勝手に柵を乗り越えたらあきません。

(続く)

 

トーハンでおはなし会をしてきたよ の巻  2010.5.18

五月雨を 集めてにごる 神田川 
(いつも にごっている けれど・・・)

神田川沿いのトーハン本社に出かけたヨネヤン。
学校図書館の先生方が本を見に来られるイベント会場の一角で、おはなし会を開催。
当日は生憎の雨。しかも、結構本降り。

春雨じゃ 濡れて参ろう

などと悠長なことを言える雨ではない。しかも寒い。連休中の暑さが嘘のようだ。
震えが来るほど。いや、これは本番前の武者震いか、はたまた尿意を催したのか。

男性は1人だけ、あとはオール女性というメンバーを前に、「小道具を使ったおはなし会」を披露。
この日は、新刊の『三人語り・四人語り・クラス語り』から、イメージ遊びをしてみました。
6人ずつ輪になって、「荷物を渡そう!」ゲーム。
2列になって、「見えないボールでキャッチボール」ゲーム。

荷物を渡そう! では、「本が20冊入った箱」「イチゴショートケーキが6つ入った箱」「蛇やトカゲがたくさん入った箱」などと、ヨネヤンが指示して、隣の人に渡していきます。
渡す人も、受け取る人も、自分のイメージを膨らませて。

キャッチボール! では、「ドッヂボールをやさしく」「テニスボールを悲しい気分で」「大きなバランスボールを、『高い金を出したのに、なんで痩せへんのや!』という怒りを込めて」などの、ヨネヤンの指示で、相手に投げて、受け取っていきます。

最後は、全員側になってゲーム。

小道具を使いながら、ゲームをしながら、「子どもたちに見せる(やらせる)場合は、こんな点に注意しましょう」「低学年だと、こういう感じで」などと、子どもへの指導上の注意点を説明。

若い女性が多かったためか、大いにみんなで楽しみました(ヨネヤンも)。

来ていただいた皆さん、トーハンの増田さんをはじめ図書館課の皆さん、本当にありがとうございました。

 

  2010.5.17

新歓コンパ・・・その3

ビールどころか、ウイスキーまで一気飲みして、大学の門を超えたヨネヤン。

解説が遅れましたが、この頃は、コンパの一次会は大学構内で。
二次会は、鹿と戯れる駅前へ、というコースでした。
無論、寮では、一次会も二次会もすべて寮内です。
バブル以前の貧乏学生ですから、できるだけ予算を安くしてたんですね。

さて、門を出ると同時に記憶が途切れたヨネヤン。
先輩や同級生に肩を貸してもらって、二次会・三次会・四次会までそのまま付き合ってしまいました。
付き合ってしまいました、と言いますが、本人の記憶は無いんですから。
半ば意識不明です。4次会の同級生の下宿で気が付いて、一部始終をみんなから聞いたんですから。

これも本当に怖いことです。先輩方も、意識がなくなった時点で、救急車を呼ぶべきでしたやん。
一歩間違えたら、私は今パソコンを打ってまへんでぇ。

先輩方のはなし。
「二次会の百円寿司では、店内でゲロを吐いて寿司屋の若い衆に頭を殴られるは、三次会の飲み屋では通路に寝て歌を歌うわ、ここに来るまでの間に、猿沢の池に 飛び込もうとするわ・柳の木に登るわ、興福寺の五重塔に登ろうとするわ、ほんま大変やったんやぞ。
ヘタしたら、文化財保護法違反とかでこっちまで捕まるやんけ」

すんまへん。
気が付いたヨネヤンは、ひたすら謝りましたが、いやあ、大変やったという前に病院へ担ぎ込んで欲しかったですわぁ。
これ、今やからこそ切実に思います。
猿沢の池に飛び込んでたら、あんた、ドザエモンですがな。亀やすっぽんのえさになってたところでっせ。
五重塔に登ってたら、新聞沙汰ですがな。お縄ですがな。

ほんまに、怖いこっちゃ〜。

しかし、喉もと過ぎればなんとやら、寮のコンパはこんなものではすまなかった・・・。
その話は後日。また、お会いしましょう。

一気飲み(飲ませ)は絶対止めましょう。
命あってのものダネです。

 

新歓コンパ・・・その2  2010.5.15

クラスの新歓コンパに出かけたヨネやん。
寮の先輩もおり、
「お〜い、ヨネ! こっちへ来い!」
とお声がかかります。

先輩の横に座り、ありがたくビールを飲み始めたヨネやん。
飲み方も知らず、コップを一気に煽ります。
「おお、ええがな、ええがな。もう1杯!」
いろんな先輩が次々に注ぎに来ては、それを空けていきます。
「ええぞ、ヨネ!」

先輩達の声に益々調子付く!
これが怖いんですわ。一人で飲んでいたら、そうそう飲めへんやろけど、賑やかに煽られると、えらい調子付いてしまい、無理してしまう。その先に、怖い現実
が待っているとも知らず。

そのうち、座が乱れ、何が何やら分からんような状態に。
私は、机の上のウイスキーをコップに注いで、これまた一気に飲み干します。
(なんちゅう、恐ろしいことでしょう)
そのころになると、比較的しらふの先輩が心配そうな声を出します。

「おい、ヨネ。お前そろそろ止めとけ。病院行きになるど」

「大丈夫ですよ。まだまだ、飲めますわ!」
自分で「大丈夫やない。危ない」という酔っ払いは、そうそうおりまへん。

「おい! 二次会に行くど!」
という先輩の声に、「よっしゃあ〜あ!」と、真っ先に反応したヨネヤン。
同級生と肩を組んで、大学の門をくぐったところまでで、ぷっつりと記憶が途切れました。・・・・

 

新歓コンパ・・・その1  2010.5.13



ちょっと時期を過ぎてしまいましたが、4月は新入生歓迎コンパの時期。
アルコールを受け付けない体質の人もいますので、一気飲みや、酒の強要などは、本当に止めて欲しいものです。

自分のことを考えてみても、よくぞ死ななかったと、心底思います。
私が卒業してから、男子寮で亡くなられた新入生がおられたので、余計にそう思います。

自戒を込めて。

まず、初心者はお酒の限度を知りません。
もっとも、料理酒や味醂で酔ってしまう、うちの連れ合いのように、限度も何も端から受け付けない人もいるのです。
危ないのは、ちょっとお酒をなめてみたりして、「結構うまいやん」と思っている、わたしのようなど素人です。

大学の入学式に、前日お酒を飲んで寝過ごしたために出席できなかった話は、すでに書きました。
(入学式どころか、あわや入学辞退という、悲惨な体験です)

それでも、限度まで飲んだわけではありません。
限度を超えてまで飲んでしまったのは・・・。

大学生は何をやってんねん、と怒られそうですが、入学と同時にコンパの多いこと多いこと。
クラス・サークル・寮など、いろんなコンパに出席しました、すべて休まずに・ ・・。
一番初めにあったのが、クラスのコンパ。
うちの大学はこじんまりとしているので、専攻ごとのまとまりも強く、先輩方がコンパをしてくれるわけです。
ここで、無茶のみしました・・・。

  2010.5.12

5月11日、トーハン春季優良図書展示会・会場で、おはなし会をしてきました。
でも、このおはなしはまた今度。

 

上野の森―その2  2010.5.11

上野公園の販売会には、甥っ子と、連れ合い従姉妹及びその子ども、など一族郎党総出で販売。

甥っ子は、小学生のとき以来の登場でしたが、よく頑張っていました。
おはなしの小道具セットは、彼が参加していたときよりもラインナップがふえているのに、私たちが説明しているのを横で聞いていてすぐに覚え、お客さんに次々に説明。
小さな子どもを見ると「ふしぎな家」つくりを解説して、手伝ってあげ、「お兄ちゃん、ありがとう」の声も。
叔父や叔母の欲目かもしれませんが、「これやれ、あれやれ」と指示しなくても、自分で考えてよく頑張っていました。
大体、一日7時間以上は立ちっぱなしですが、弱音も吐かずに・・・。

従姉妹のまゆちゃんは、さすがに上手!
商品を並べて飾るのも、説明するのも、呼び込むのも。
もう、獅子奮迅の活躍でした。
子どもたち2人も、可愛い声で、「いらっしゃーい。おばけの森はいかがですかぁ〜」
「2割引ですよ〜」の呼び込みと、「手品レストラン」の実演などで、大いに活躍。

みんなの頑張りと、お客さんの笑顔で、ゴールデンウィークは充実!
もっとも、翌7日は体が痛くてだるく、這うようにして出社。さすがに歳を感じざるを得ないですねえ。

 

上野の森でお会いした皆さん、ありがとうございました!  2010.5.10

当初の週間天気予報では、4・5日に雨マーク!
雨で中止になった過去の辛い記憶がよみがえります。
ああ、天よ。
どうか、この不信心な迷える子サルをお救いください。

そうした、手前勝手な祈りが通じたかどうか、次に発表された天気予報では、3日間とも「晴れ」マーク。

屋外のテントで販売ですから、雨だと中止。
雨がざーざー降る中、テントの中で湿気ながら、「開催か、中止か」の発表を待ち続ける辛さよ。
本は勿論、湿気を大量に含み、表紙が波打ったり・・・。

販売できる額よりも、被害額のほうが大きい有様。
まあ、泣く子と天気には勝てまへん。

今年は、最終日に末吉さんの野外イベントを予定していたので、一層心配。

でも、無事3日間、開催できました。
ありがとうございました。

 

常識の無いのは若い人? 続き  2010.5.2

ゴミを放置する輩を発見し、追跡したヨネやん。
え〜、ここで質問です。
もし、その人が強面のやくざ風の方だったら、どうしていたでしょうか?
車の外からは、運転手が見えなかったので、窓を開けさせてしまいましたが、もしヤクザ様やったら?
考えるだに恐ろしい。

窓を開けて、
「なんじゃああぁ!こらぁ!」
と、言われたらこう言うでしょう。
「今日はいい天気ですねえぇ。どうぞお、気をつけて、行ってらっしゃい!」

なんや、だらしない。と思われるでしょう。そうです、だらしないのです。

「君子危きに近寄らず」

でも、同じシチュエーションで、ゴミ放置犯を発見したとき、ちょっとびびりました。
その時発見したのは、くだんの老紳士と同じような白い車やったものですから、
「また、あのおっさんか!」
と、これまた自転車で追跡。またまた信号待ちで捕まえました。

ちょっと!

「なんだよ!」
と、顔を出したのは、50歳くらいのちょっと怖い感じの方。
瞬間思いました。
やばい・・・

でも、ヤクザ様ではなかったので、行きがかり上言ってしまいます。
「ゴミを、仕分けもせんと、捨てるのは止めてくれよ」

「あんだと? うっせえんだよ!」
「こんな仕分けもせんゴミ、持って行かれんと、ずっと放置されて腐ってくるやろ、住んでるもんは困るやろ?」
「ぎゃあぎゃあ、うっせんだよ、この大阪人が」

またまた出ました。以前も電車の中でも言われたことがあります。関西弁をしゃべるのは皆大阪人やと思うてはるんやね。
それはともかく、この50歳くらいのおっさんは、捨て台詞をはいて、ゴミを放置したまま走り去りました。

うちのゴミ置き場に仕分けもせんゴミを放置したのは、60歳過ぎの老紳士と、50歳くらいの会社員風。
どっちも若者ではありません。
もちろん、若い子も電車の中で食べたお菓子の包み紙とかを平気で床に捨ててる子もいます。
お年寄りやから、とか、若いからとか、そういうことやなく、それぞれ個別に、落ち着いてみていったら、案外いろんなことが見えてくると思うんですけどねえ。

今日の格言
「己の欲せざるところ 人に施すこと勿れ」


ヨネやん、溝に落ちる―の巻 その3 2009.12.24

ようやく前振りが終わりました。ふ〜っ。しかも、クリスマスイブには全く相応しくない話題をこれからします。苦情は寄せないでください。

溝に落ちる話は、アニメに関係があります。
溝とアニメ?
そうなんです。

最近のアニメがどんなものかあまり詳しくないのですが、私らが子どもの頃、アニメのお約束みたいなものがありました(スポ根ものではない)。

登場人物が何かを追っかけたり、本を読むのに熱中して歩いているときに、崖が出てきます。
なんで、いつもいつも崖が出てくるのかは不明なのですが、例えば私がそのアニメの主人公だとしましょう。
にっくき敵のドラ猫を見つけて、猛然と追いかけます。もう少しで捕まえられるという時に、崖になるわけです。でも、私は崖に全く気づいていないのです。
ドラ猫が猛然と崖から飛んで、崖の向こうにせり出している木の枝につかまっています。私は、すごい勢いで走ってきて、猫の手前で止まります。
「もう、捕まえたぞ。観念しろ!」とか言いながら、崖を通り過ぎて空中に浮いています。
そのとき、猫が下を指差します。
私は何事かと下を見て、空中に浮いていることを初めて知り、慌てて手足をバタつかせますが、哀れ、見事に落下します。

私はこの場面を何度も色んなアニメで見ていたので、すっかり信じ込んでいたのです。
「空中にいることが分かっていないと、空中に浮くことが出来る」と。

小学校の1年生のときです。
なんで、1年生やと分かるかというと、集団で下校していたからです。
朝は、小学校6年生の班長を先頭に集団登校。でも、帰りはそれぞれバラバラ。
1年生だけは、同じ方向に帰る子どもらが、連れ立って集団下校していたのです。
「ほな、ぼくはこっちやから、また明日な」とか言いながら、枝分かれして行くんです。
ともかく、クラスの皆と集団で下校している途中で、私が言いました。
「ぼくなあ、空中にうくことができるでぇ」
「うそやあ」
案の定、みんなは口々にいいます。
ふんっ! みんな知らんな。僕は空中に浮ける方法を知ってるんや。まあ、驚くなよ。
そんなことを内心思いながら、不敵な笑みを浮かべている小学1年生って、結構不気味なものがあるでしょう。

「まあ、見ててみいや」
と言うなり、僕は例の方法を始めました。
そうです。空中に浮いていることに気づかへんかったら、ええ訳ですから、あれをやるんです。
目ぇつぶって、歩く!

私が目をつぶって歩き始めますと、女の子らが口々に騒ぎ立てます。
「やめとき!」「危ないで」「こけるでぇ」

まあ、見とけっちゅうねん。今にすごいことが起きるから!
不敵な笑みを浮かべたおかしな少年は、目をつぶったまま歩き続けます。
どっかに崖がないかなぁ?
(崖がなくて、ほんまに良かったんです。)

そうこうするうちに、女の子らの騒ぎが大きくなります。
「危ないやん!」「どぶがあるで!」

どぶ? ええやんか! そこにあったか!
よっしゃ、よっしゃ!

そのまま目をつぶって歩いていくと、女の子の声が絶叫に変わったと同時に、体が沈みました。
続いて、前に倒れ、両手を突きました。そうです。どろどろのヘドロの中に・・・。
「えっ? なんで? 最後まで目ぇつむってたのに・・・」

浅い小さなどぶ(溝)やったから、よかったんです。
どぶのコンクリートで足をすりむいたのと、服の袖やら前やらがどろどろになったのと、靴がヘドロに埋まって脱げて探すのに苦労したのと、お母ちゃんにえらい剣幕で怒られて、こっぴどく叩かれたのとを除けば・・・。


どうか、良い子の皆さんは真似しないでください。車がほとんど走っていない時代です。
今そんなマネしたら、間違いなく車に轢かれてしまいます。

それにしても、どぶには縁がありますなあ。
小学1年生で身をもって(痛い目をして)、「人間は空中には浮かない」ことを知った少年。
「空中浮揚」などという全くばかばかしいたわ言に、大の大人が騙されるのが不思議でしょうがない大人に育っていました。

ただの偏屈、根性曲がり、皮肉屋かもしれませんが、生きて行くうえではそれも大切な知恵というものですな。


ヨネやん、溝に落ちる―の巻 その2 2009.12.23

この見出しは、おかしいやろ? 昨日のお話のどこに溝が出てきたんや?
というお怒りはごもっとも。
先を急いでおられる皆さん、溝に行き着くまでに、まだもう少しお話がございます。しばしお待ちを!

おいの受験勉強の邪魔をしている、ヨネやん。国語の都立高校過去問題に四苦八苦。
「これは、問題が悪い!」
と八つ当たりの、惨めな姿をさらしているところ・・・。

だいたい、「このときの主人公の気持ちは?」なんて、書いた本人でもないのに、入試を作ってる人が勝手に決めてええんかい?

重松清さんが、自分の文章が出ているテストを自分で解いてみたら30点しか取れなかった、という話を聞いたことがあります。
私らが中学生の頃は、こんな話でした。

「藤本義一が、自分の子どもが解いているテストを見てビックリ。
『それ、お父さんの書いた文やがな。どれ、貸してみ』。
自分の書いたものがテストに出て、それを自分の子どもが解いている、という構図に何やらくすぐったいような誇らしさを感じながら、次々に質問に答えていきます。
『出来たで!』
自信満々に子どもさんに解答用紙を渡した藤本義一さん。
タバコをふかしながら、子どもさんが答え合わせをしているのを待っています。
『お父さん』
『なんや?』
『これ、ほとんど間違うてるでぇ』
『なんやて?』
慌てて解答用紙を見たら、ほとんどの解答にお子さんが書いたバツ印が付いています。
『ほんな、アホな。そうかて、この出来事に作者が込めた思い、だの、主人公のの気持ち、だの、書いた本人が答えてるのに、何で間違うんや!』

これは都市伝説ではなく、ラジオで本人がしゃべっていたそうです。
それを聞いていた友人からじかに聞いたのですから、まあ、信憑性はあるでしょう。

重松清だの藤本義一だのに、自らを並べるところが不遜極まりないですが、過去問題の4択のどれも間違いやと思うものがあります。そんな問題ばかりではありませんが・・・。

しかし、そんなことを言うてても。入試に合格するわけではありません。
そこはうまく切り替えませんと・・・。
甥にも言うときました。

「あのなあ、とにかく入試に受からんとアカンから、問題を作った人の意図を見ぬかなアカン。そこを探るためにこんな問題集も売ってるんやから。まあ、ここはうまくやろ」

まあ、ただ単に私の国語力が足りない、というだけの話なのですが。

ちなみに、甥の勉強を見るようになったのは、連れ合いのほうがずっと早いのです。
中学に入って、すっかり勉強が分からなくなり、ふてくされてやる気もない甥を見かねて、根気強く丁寧に、英語・数学・理科などを教えていました。
傍から見ていても、最初甥っ子は、イスに浅く腰掛けてふんぞり返り、ポケットに手をつっ込んだりして、「勉強してやっているんだぞ」オーラを発していたのですが、回を重ねるごとにだんだんとイスに深く腰掛け、机で数字などを書くようになり、2年生の半ば頃には、質問もするようになり、入学当時のあの姿からは考えられないような別人です。
私が最初から教えていたら、あのふてぶてしい態度にきっとぷっつんしていたことでしょう。
連れ合いは、教えるのがうまく、なにより忍耐強い。

私も見習わんとあきまへんわ。

それで、溝は?
まだまだ道半ばです。


ヨネやん、溝に落ちる―の巻 2009.12.22

新しい歳を迎えようとしているときに、「落ちる」などと、特に受験生を抱える
ご家庭には縁起でもない話題で失礼します。

「受験生を抱えるご家庭」などと、他人事のように書きましたが、そうでした、
うちの甥も高校受験を控えております。
先日、連れ合いが都立高校の過去問題集を買うてきました。
「どれどれ、どんな問題や?」
と、二人して眺めてみると、・・・・・・。

「難しい!」

国語と英語は長文が多く、長い文章を読むのが苦手な子には、ほとんど点数が取れないのでは無いかと、不安になる問題。
実際の質問は4択とかが多いので、山勘でも当たるといえば当たるだろうが、それはそれで、「山勘で当たる問題なんか、学校で習た文法とか、関係ないやんか」
ということにもなります。

まあ、都立高校入試の問題に何事かを期待する方が無理というもの。
文句を言うててもしゃあないですから、国語の長文を甥と一緒に解いてみました。
長文は2種類出ています。まず、小説の一部。次に、論文の一部。
甥が、
「こっち(論文)は読みやすいけど、そっち(小説)は面白くない」
というのを、
「まあ、そんなこと言うなよ。入試の問題でおもろい文章が出てくるはずもないやろ。とにかく、解いてみ」
となだめ、彼は早速解答を考え始めます。

一通り終わったところで、解答集を見ながら、考えていきます。
「そんなに難しくないやろ」
と、私は高をくくって、
「その4択は、(イ)やろ」
とか、答えていましたのに、
「違うよ。答えでは(ウ)になってる!」

「・・・ウソやろ。なんでや?」

その後も、次から次に解答を間違え、すっかり権威をなくしたヨネやん。

もう一度、じっくり文章を読み直し、設問を読んで考え直します。
それでも、解答に納得がいきません。
解答集に書いてあった解説を読んでもさらに「そら、ちゃうやろ」と不満が増すばかり。
挙句の果ては、
「これは、問題が悪い。解答も間違うとう」
と、都教委の解答にもケチを付ける始末。
このころには、すっかり近所の文句言いのおっさん状態。受験勉強の手助けどころではありません。

ああ、おじさんの権威は回復するのでしょうか?
それよりも何よりも、年明け2月には私学の入試が迫っているのに、問題にケチをつけるようなおっさんが教えていて、彼は無事合格できるのでありましょうか?

乞うご期待!


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