こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。
このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、
興味のあるものからお読みください。


2009.6.28

またしても猫に悩まされる の巻 パート3

知人からもらった大切なオクラの苗(しかもたくさん)が、全て消えてなくなった怪奇現象を覚えておいでだろうか? 覚えておいでって、一昨日まで書いてたやん! そのとおりです。

奥さんが真犯人を割り出しました。しかも、土の状態から!

「この土の状態から割り出せる答えは一つ! 犯人は、・・・・・・猫です」
「ほんま?」
「お疑いなら、土を掘り起こしてみましょう」
ということで、使い捨てのビニール手袋をはめて、プランターの土を掘り起こしてみると・・・、大判小判がざっくざく! なら、いいのですが、出るわ、出るわ、つぎからつぎへと猫のウンコが! しかも、土を掘り起こしたので中に溜まっていたであろう、猫のおしっこの匂いがぷんぷん。そうです、学生時代に私がお布団でイヤと言うほど嗅いだ、あの猫のおしっことウンコの臭いです。瞬間、学生時代のトラウマがよみがえりました。

そうか、猫がプランターの土を掘り返して苗をなぎ倒して土に埋めてしまい、猫のおしっこで止めを刺された、という訳ですね。
猫は私たちが置いたプランターを見て、小躍りしたことでしょう。
「これはええわ。掘りやすいし、何より身体がすっぽり入って落ち着くがな。ええもん作ってくれたわ。オクラの苗? 知らんで。何のこっちゃ?」
しかし、猫君。知らんかったで済んだら、警察は要らん。苗をくれた御近所に何と申し開きすんねん! (今に至るも、苗のその後を説明していない。そっちに話題が行くのを極力避けている)

おしっこと聞いて、「それやったら、肥料でしょう」という御仁がおられるやもしれん。もし人間のおしっこと猫のおしっこがそないに成分が変わらんかったら、おしっこは除草剤である。農業をしたことない都会の方が、立小便としたときに言い訳として「肥料をやっている」とかおっしゃいますが、試しにお宅の大切な花にでもそのままかけてみなはれ。枯れること請け合いですな。

ああ〜悲惨、それにしても、悲惨だ。お金をかけて、わざわざ猫のトイレを作ってやったのだ。木搾液は役に立たんかった。使い方が間違うてるのかもしれんが、オクラ無きあとのプランターに時々かけてみても、あいかわらずトイレとして使用されている。
あー気持ちええわ、と言いながら、かの猫がしているのだろう。
あれから、オクラのいないプランターを眺めては、猫のウンコを取り去る日々が続いている。単なる、猫のトイレ当番ですわ。とほほ。

猫の仕打ちはそんなものじゃないが、今日はこの辺で。


2009.6.26

またしても猫に悩まされる の巻 パート2

家の中に入ってきた猫を追い払ってしまった私たち夫婦。予め断っておくが、怒鳴りつけたわけでもなく、ましてや棒か何かを持って追いかけたわけでもない。
ふつうの声で「こら、こら」と言ったのみである。しかし、おもてなしはしなかった。
それが猫さんを怒らせたらしい。

まず、車がやられた。
駐車場に止めている車(別に高級車でもなく、自家用乗用車でさえない)のボンネットに無数の傷を見つけたのは、妻の方だった。
「傷がようけ付いてるで。あれは猫やな」
「ほんま?」
見に行くと、なるほど爪の跡であろう引っかき傷があちらこちらに。
天気の良い日に、猫がボンネットに乗って寝ていたり、毛づくろいをしているのは、再々見かけていたが、このような実害があろうとは・・・。しかし、猫に言い聞かすわけにもいくまい。
「ここはなあ、寝るとこちゃうねん。いや、寝てもええけど、爪を立てるのだけは止めて。お願い」と懇願したところで、「いんニャー」と否定されるのがオチだろう。以来ずっとうちの車は、猫さんたちの昼間のベッドと化している。

次に、プランターがやられた。
御近所の仲の良い方から、オクラの苗をたくさんもらった。
「これからは、まず自分の食う物は自分で育てなあきませんねえ」などと私たちが言っていたので、「オクラなら簡単よ」とわざわざ少し育てた苗をくださったのだ。2人で早速、プランターと土を買い、「猫よけ」と銘打っていた「木搾液」まで買い込んだ。
「猫に害があるような物はイヤやけど、プランターを荒らしたらアカンしな」
そう言い合いながら、土を入れ、奥さんが苗を丁寧に植えかえて、オクラの成る日を夢見た。
猫よけに薄めた木搾液もかけて。
しかし、その夢は「春の夜の夢の如し」まさしく、雲散霧消したのである。
翌朝、たくさんあった苗が一気に減っている。3本くらいしか残っていない。減っているというのは、苗の姿がどこにも見えないということである。最初は、わが目を疑った。わずか一晩で、だれかに食べられてしまったのだろうか? 相当ガッカリしたが、残りの苗に夢を託した。しかし、わずかな希望も、またまた12晩と持たなかったのである。
目を覚ましてプランターを見ると、すでにそこにあるのはタダの土である。緑色の物はどこにも見えない。
「いや、見えなくても、実はあるんです。心に念じなさい。心で観なさい」とある種の宗教家の方なら仰るかもしれないが、心に念じようと、気合を入れようと、ない物はないのである。どこにも。

そのとき、奥さんが口を開いた。
「あの〜、ちょっとよろしいですかぁ」・・・古畑任三郎のように。
「ん〜ん、犯人がわかりました。ヒントは、この土です。ンフフフフ」
田村正和さんのようにしゃべる声を私が遮る。
「この土の、なにが?」
「よーく、観てください」
しかし、近視の上に最近は老眼も入ってきた私の目には、見えるものさえ見えない。
「わからん」
「土が掘り起こされてますねぇ」
「確かに」
「そして、ここの小さな窪みをご覧ください・・・。」
「いくつかあるな」
「すると? 答えはまた別に日に」

(乞うご期待)


2009.6.24

またしても猫に悩まされる の巻

今年の3月9日から、大学時代の「某重大事件」(通称・猫事件)を3日連続でお伝えしました。
あれから、四半世紀の時空を超えて、またしても猫に悩まされています。
今度は3匹も・・・。私たち夫婦は、「3匹の侍」と呼んで、恐れているのです・・・。

お隣とその向かいの家(親子)が飼っている猫3匹。
飼っているのか、どうかは定かではない。というのも、それぞれの玄関に猫の家が建っている(作ってある)
のだが、そのお家に猫が入っている姿を見かけたことがない。お家は発泡スチロールやベニヤ板で作ってあり。猫が遊ぶ(らしい)木の板もブロックに渡してある。
しかし、その猫たちはそんなところにはじっとしているはずもない。
そもそも私たちの家は、私たちよりもその猫さん方のほうが、先住民である。
私たちが来たときにはすでに私たちよりよほどこの家を熟知しており、自由に徘徊していた。
この家に来てすぐの頃、ドアを開け放して、掃除をしていると、猫がドアの前を何度か横切るのに気づいた。
「なんで、何回も通るんやろ?」と気になってしまい、掃除の手を休めて2人で玄関を見ていた。
奥さんは、「あの猫は、ドアの前を横切りながら、横目で中を伺っていた!」と重大な証言をするではないか。
もっとも、私には、猫の「横目」がどのように見えるのか、いまいち理解できなかったが・・・。
それでも、なにやらきな臭いに
おいがし、一緒に玄関に立って外を見ていた。
すると、私たちの期待を感じたか、すぐにかの猫がやってきた。
そして、玄関の方を向いて、座って、こちらをじっと見つめている。
「やっぱり、中が気になるんやな」と2人でうなずきあいながら、猫をじっと見つめていると、さらに一歩、二歩とこちらに近づいて座りなおした。そのまま、じっとこちらを見つめている。そのまま、ゆっくりと腰をあげ、ぶるぶるっと身震いしながら、悠然と立ち去っていく。
「まだ、片付いてないのぉ。とんまな面だぜ」とでも言わんばかり。

「なんか、ふてぶてしい猫やなぁ」と2人で言い合って掃除を再開したのだが、
次の日猫はもっと私たちに急接近した。
その日もドアを開けて、片付けと掃除にいそしんでいたところ、「トン」という物音がしてすぐに、「猫が入ってきた!」という声が・・・。昨日の猫は、玄関前からさらに進んで、家の中に入ってきた。悠然と。
「こら、こら」というと、慌てて去っていったのだが、客人としてもてなさなかったことに、いたくご立腹だったようだ。その日から、猫の思いを知ることとなる。


2009.6.22

東京国際ブックフェアでお会いしましょう!

7月9日(木)〜12日(日)の東京・お台場・ビッグサイトで開かれる東京国際ブックフェアに出展します。
そこの小さなイベントスペースで、「ヨネちゃんとまゆちゃんの おはなし会」
を開きます。まゆちゃんというのは、うちの奥さんの従妹で2児の母。
昨年・今年と、上野の森親子フェスタの助っ人に来てくれた力強い味方。2人の娘、しーちゃんとあーちゃんも土日には応援に駆けつける予定。
お台場でお会いしましょう。詳しくは、トップページをご覧ください。


2009.6.21

見ず知らずの学生の家で寝ていたよ、ファイナルの追伸

*追伸1 これ、まかり間違うて、女の子の部屋やってみなはれ。犯罪者ですよ。
ドアの中に入った時点で即現行犯逮捕ですよ。想像するだに恐ろしい。

*追伸2 その日のうちにFを見つけ出し、こう言った。
「こら、お前! オレに黙って引っ越すな。えらい目に遭うたやんけ」
「なんや、引っ越すの言うてなかったか?」
「言うてなかったか?や、あるかいな。お陰でなあ、かくかくしかじか、やど」
「そんなん、オレのせいちゃうやろ。ヨネ、お前、一歩間違うたら、犯罪者やど」
「そこやがな。そやけどな、捨てる神あれば拾う神ありや。お前の後に入ってたN大学のA君がええヤツでなぁ。黙って泊めてくれた上に、毛布まで掛けてくれてたんや。この社会も捨てたもんやないど」
「お前なあ、そうやって、ええ人の親切にすがってたら、今にもっとえらい目に遭うど」

その後の人生は、友人Fの予言したとおり、えらい目の連続であった。
しかし、その都度、またまたええ人にめぐり合って、なんとか乗り切ってきたのである。

またお会いしましょう。
(完)


2009.6.20

Fの家に別人が・・・ファイナル

*19日に最終章を掲載するはずが、1日遅れてしまいました。お詫びします。

「ここはFの下宿でしょうか?」「いえ、違います。僕の部屋です」
「すると、Fはどこに行ったんでしょう」「それは知りません」

えぇ〜えっ! ここはFの下宿ちゃうの! えらいこっちゃがな〜。

えらいことでは済みません。見ず知らずの人の部屋に寝ていたのです。
思わず、ズボンを穿いているか確かめてしまいました。

大丈夫や・・・。でも、ちょっと待てよ。どうやってここに来たんやろ? 
アカン、頭が痛いし、気持ちも悪い。思い出せ! 昨日は、みんなと居酒屋Kで飲んでて、気持ちが悪うなって・・・。そや、トイレの横で寝てたな。それが何で、ここに来たんや。アカン、思い出せん。
さっきからこっちをじっと見つめている見ず知らずの若い男の子の顔を見上げてました。

「すみません。僕は、昨日、どうやってここに来ました?」
「昨日ですか? 夜中に急にドアをノックされて、『F! 開けろ!』とか、叫んでおられたんですよ。
それで、近所に迷惑だし、お帰りいただこうと、ドアを開けた途端、強引に中に入ってこられたんです」
「・・・強引にですか? ほとんど強盗やねぇ。それから・・・」
「『Fはどこに行った?』と聞かれたので、ここは僕の家です。
Fなんて知りません、と言うたんですが、『なに〜! Fの家ちゃうやと? 構へん。気にすんな』と言って・・・」
「気にすんな、と、僕が???」
「そうですよ。それで、もう床に倒れこんで寝てしまったんです」
「・・・・・・。!! そうすると、この毛布は君がかけてくれたんか?」
「そうです。風をひくといけませんから」
「・・・・・・。ごめんなさい。」

この時点で全てを悟りました。
駅前で飲んだときにはFの下宿になだれ込む、そういう習慣が身についていた私は、昨夜の深酒でべろんべろんに酔っ払った足と体を引きずって、本能の赴くままにFの下宿へ、Fの下宿へと向かった。
しかし、Fの下宿はすでにFの下宿にあらず。
<ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず>

久しく留まりたる試しなし、か。ああ、無常。世の中は常に動いておる。
Fの下宿も流転の中にある。哀しきかな・・・。

「さっきから、何をごちゃごちゃと言っておられるんです?」
「ごめんなさい。え〜と、君はNK大学の学生?」
「いえ、N大学のAです」
「大学も違うかったんか?! つまり、見ず知らずの、違う大学の、突然の欄入者の、しかも酔っ払いの、強盗まがいの、この僕を、君は泊めてくれたんやね?」
「しかたないでしょう。追い出すわけにもいかないし。外は結構寒いですから」

なんという温かさよ。地獄で仏とはこのことよ。無理やり押し入った僕を泊めてくれた上に、毛布までかけてくれて・・・。
とほほほ。なんちゅう、情けない。他人の親切が身に沁みる、底冷えのする奈良大和路。

慈母のように親切な学生A氏に深々と頭を下げ、その場を辞したヨネちゃん、大学3回生頃の話。


2009.6.18

Fの部屋にて・パート3

爽やかな日差しが私の顔を照らし、雀が「チュンチュン、朝やど、はよ起きんかい」とさえずっている。台所では、Fがまな板で何かを刻んでいる音。
「あぁ、悪いなあ。朝ご飯 作ってくれてんのか」
そう思った瞬間、またまた深い眠りに付いた。

次に目を覚ましたとき、毛布がかけてあるのに気づいた。Fの部屋には何度も泊まったが、どうも毛布に違和感がある。
台所の音はすでにせず、洗濯機が回っている音がする。この洗濯機の音にも、何かしら違和感がある。

アカン。頭ががんがんするし、気持ちも悪い。それでかなあ、何か、違和感がある。頭がどうかしたんやろか、これも夢の中かな?

そう思って上半身を起こしたとき、声がした。
「起きましたか?」
声がした方向を見ると、その声の主は逆光の中にいるので、顔が全然見えない。
もう一度、声をかけられた。
「眠れましたか?」

「えっ? アンタ誰? Fはどこに行った? もう出かけた?」
逆光の中に立ち尽くす怪しげなシルエットに、私は問いただした。少々憮然としながら。
(Fのヤツ、先に出かけるなら出かけるで、声ぐらい掛けて行けっちゅうねん!
見ず知らずのヤツとこんな状況で対応せなアカンやんか!)

すると、その声の主は、再び口を開きました。
「あなたこそ誰です」

二日酔いの頭が急速に回転し始める。
キョロキョロと部屋の中を見回す。明らかにFの下宿である。いつもの方向に窓があり、いつもの方向にドアがある。しかし、家具類やポスターなどが違う、明らかに・・・。
(アカン。タイムスリップしたか? 浦島太郎みたいや。どないなってんねん。
とうとう、脳が酒にやられたか! 確かめとかな!)

「すみません、今日は何年の何月何日ですか?」
その男は、私以上に憮然としながら、答えてくれる。
(やっぱり、合うてるがな。時間の壁は超えて越えてない)
安心したと同時に、更なる疑問が・・・。
(ほなら、ここはどこやねん!)

「すみませんが、ここはFの下宿でしょうか?」
「いえ、違います。僕の部屋です」
「でも、確か、大家さんは○○さんですよねぇ・・・」
「そうですけど。でも、僕の部屋です」
「すると、Fはどこに行ったんでしょう」
「それは知りません。でも、私がここに入る前に住んでらしたんではないですか?」

えぇ〜えっ! ここはFの下宿ちゃうの! えらいこっちゃがな〜。

明日、最終回です。


2009.6.17

友人Fの下宿にて・パート2

お酒に弱いくせにコンパで深酒し、トイレ近くで眠っていた私。トイレのすぐそ ばの床はお世辞にも美しいとは言えなかったろうが、床を選んでいる場合ではな い。いや、そもそも住んでいる寮の床から見れば、それほど汚いともいえない。
もしかすると、少々汚れた床の心地よい安心感が私を眠りにいざなったのかも知 れぬ。
もう限界や。
意識が朦朧とし、這うようにして居酒屋を出た私が、本能的に向った先は、Fの下宿。友人たちの下宿先は大学近くが多く、駅近の住んでいる友人は少なかった。
駅近くに住んで何がアカンかというて、駅前居酒屋で飲んだ私のような酔っ払いの輩のくつろぎの場所になるからである。Fも因果な場所を下宿先に選んだものよ。これ、前世の因果かも知れず、凡人ヨネちゃんの遠く及ばぬところなれば、酔った足がFの下宿へと向うことは、もはや誰にも止められぬ。
もう、アカン。
Fのとこまでそないに遠くないはずやのに、いつまで経っても着かん。
くそぅ、Fの家のほうが動いとんな。そうまでして、寄せ付けんのんか。こうなったら、意地でも行ってやる。
時々、電柱の根元に寄りかかって睡眠をとりつつ、何か別の大きな力が私の足を、Fの部屋へ、Fの部屋へと誘う。
その頃には、意識は朦朧を通り越して、ほとんど意識不明であったろう。なぜなら、Fの下宿に入ったのも、Fの部屋に行ったのも、全く覚えていないからである。


2009.6.16

Fのこと。
忌野清志郎のことで大学時代の友人Fのことを思い出していたら、その一年が通じたのか、Fから電話をもらった。夏に大阪で会う約束をしたんですが、Fのこと、というかFの下宿のことで思い出した話が・・・。

あれは、大学3回か4回のときですやろ。
恐らく春先か秋やったんでしょうね。なんで季節が分かるかというと、まあ、この話をご覧になるとわかります。

コンパ大好きだった大学時代の私。飲めもせんのに、一昨日は大学生協の仲間と・昨日はクラスで・今日はクラブで・明日明後日その次は男子寮で、と毎日のように飲んでいたのです(勉強もせんと情けない)。

その日はFが一緒じゃなかったので、クラスではないでしょう、クラブか寮の二次会か、とにかく駅前の居酒屋でしこたま飲んでしまいました。
これまたいつかは恥を曝さんとあきませんが、新歓の頃は能力以上に飲めたものです。男子寮の新歓コンパはえげつなかったですねぇ。とにかくすぐに「体力の限界」を知ったというか、すぐに一定量以上は体が受け付けなくなった私。
その日も、どんどん飲んでいたけれど、途中から受け付けなくなり、頭が痛く、猛烈な眠気に襲われ、気持ちは最悪・・・。ゆらゆらと揺れながら居酒屋のトイレに立ったはいいものの、そこでへたり込んでしまい、そのまま眠ること早3年と3ヶ月。いえいえ、三年寝太郎ほどの大物でもなく、実際は5分くらいではなかったでしょうか。
目を覚ました私は、
「アカン、ずいぶん寝てしもた。何か寒い。歯ぁガタガタ言うわ。飲みに戻ったら、もうアカンかもしれん」
と、自らの限界を悟り、静かにフィールドを去って行くのであった。
「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」
かように気取って退場したものの、気取っていたのは私自身だけで、後で後輩から、『ちょっとヨネちゃん。支払いする前に消えてどないすんねん!』と怒られたことは、読者の皆さんも早くお忘れください。

次回に続く!


20096.10

7日の日曜日、埼玉県の学童保育集会というのがあり、本の販売手伝いに行ってきました。
埼玉県立大学という創立10年の新しい大学が会場。水田がまわりに広がるのどかな環境・・・、にしては、どうも建物が無機質で周囲とマッチしてへんね、と言ったところ、「わざとマッチさせてないんじゃないの。デザインだからさ」とたちまち反論あり。そんなもんですかねぇ。

「今日はNHKの収録が入ります」とのアナウンスに、「集会の模様をニュースで流すンやな」と勝手に解釈していたところ、ドラマの収録だったんです。
ドラマ撮影の現場にはじめて立ち会いましたが、中々大変なモンですね、1つのシーンを撮るのにどれだけ時間がかかるか・・・。
当日は、暑い・暑い。こっちも日向での販売ですからすっかり日焼けしましたが、スタッフや俳優さんたちもほんまに大変ですね。
この話はまたゆっくりと・・。


20096.9

ブログを更新してから、早1ヶ月以上・・・。
いったいどうしたことか? と気を揉んでおられる読者の方は、全国で20人くらいはおられるはず・・・(気を揉んでない方は、1億人以上)。

実は、5月の連休「上野の森親子フェスタ」の最終日に雨に打たれて、その後の天候不順も重なって体調を崩してしまいました。新刊『赤ちゃんと絵本であそぼう!』の作業も中々難航し、ブログのことに頭が回らなかったのです。ようやく出版でき、体調も落ち着きましたので、またまた性懲りもなくブログに挑んでおります。

ブログを休んでいる間に、忌野清志郎さんが亡くなってしまいました。
彼を知ったのはずいぶん遅く、大学1回か2回生のときです。
Fの下宿で清志郎のテープを聴き、「ずいぶん変わった声やなあ」という物凄く単純な感想でしたね。清志郎のロックが分かるには、あまりにもガキだったのでしょう。Fは、清志郎やレゲエを聞き、カラオケスナック(カラオケボックスはまだない)では越地吹雪を歌うという、独自路線。私のような凡人にはものめずらしい存在でした。

核などいらねえ。憲法9条はジョン・レノンの唄みたいで格好いいじゃないか。
と愚直に言い続ける姿が大好きでした。昔好きだった人(憧れていた人)が歳をとってなんだかテレビ局に媚びていたりするのはあまり観たくない(生活のためなら仕方ないが・・・)。ロックだといっても主張やソウルが感じられない、がなりたてるだけの歌も付いていけない(聞きたくもない)。
尊敬できる人は少ない。それでもほんの数人でもいればいいじゃないか、と清志郎を観ていて思う。
♪いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもないとブルーハーツのように歌いながら生きていきたいものだ。


2009.5.2

電車の中で、えらい目にパート2

目の前のお兄ちゃんが、紙袋をごそごそしながら、何かを出そうとしています。
それをじっと見つめる、私のお目目。

そのうち、彼は細長い箱を取り出しました。
「あ〜、ビニール袋やなくてよかった」
そう、一瞬思って、目を離そうとしたとき、お兄ちゃんは箱を開け始めました。

兄ちゃんは、縛っていた紐か何かを解いて、紙袋の中へ。次に長い箱の蓋を開け、紙袋の中へ。
「ゴミを平気で捨てるやつも多いのに、紙袋に入れるなんて感心なやつや」
と思った次の瞬間、箱の中から現われたのは、いわゆる出刃包丁〜!
「なななにっ?」
私の目は、そこに釘付け。お兄ちゃんはそんなことにはお構いなく、箱の下の部分をやっぱり丁寧に紙袋の中へ。

右手に持った出刃包丁を、お兄ちゃんはじっと眺めています。
ある1点を凝視していたかと思うと、今度は下から上へ、上から下へじっと見つめる。

もう、わたしは恐怖で一杯になっています。
「通り魔」という文字も、さっきから何度も頭をよぎっているのです。
なんせ、彼との距離は40センチから50センチ
くらいでしょう。「彼がその気になりさえすれば・・・」
きっと、顔は相当青くなっていたことでしょう。
でも、「大声を上げてはいけない」と強く思っていたのです。
それが正しいかどうか、今でもよく分かりませんが、大声を上げて助けを求めたりしたら返って逆上するかもしれない、と強く思っていました。
(大声を上げた方が効果的な場合も多々あります)
もうひとつ。「いきなり逃げてはいけない」ということも、同じ理由で強く思っていました。
声も上げず、逃げもせず(逃げられず)、わずかに数センチ足を微妙に動かして、「すこしだけ、ほんの少しだけ。彼を刺激せんように」彼から、離れようとむなしい努力。
お兄ちゃんは、何かに取り付かれたようにドスを見つめています。
「兄ちゃん、事情はよう知らんけど、やめときや」
と、テレビドラマなら言うでしょう。とてもとてもそんな状況ではなく、私はそんな大人物でもありません。

「ここで僕がへたに騒いだら、まわりがみんなえらい目に遭う」
そんなことを考えていた哀れなおっさん。

自分が飲み込む唾の音さえ、何か相手を刺激するような、大きな音に聞こえます。

それでも、少しずつ足を動かしているのです、少しでも離れようとして・・・。

すると、お兄ちゃんは、紙袋の中からはこの下の部分を取り出し、ドス(出刃包丁?)を収め、紙袋から蓋をとりだして蓋をし、紐を取りだしては箱に紐をかけ、次々に手際よく作業を淡々とこなし、ずベては紙袋の中へ。
ちょうどその時駅に着いたと思うと、兄ちゃんは何事もなかったかのように紙袋を提げて、降りていきました。

しばし呆然と立っていた哀れなおっさんは、少し立ってから慌てて周りを見渡しました。
(今、ドスを抜いてましたよねぇ〜)
と、恐怖を分かち合える人を探して。
でも。無駄なことでした。みんな、眠っていたり、本を読んでいたり、お喋りに忙しく(携帯がその頃あったのかどうか、良く覚えていないのです)、全然気づいてない!

みんな、あのドスに気づかんかったん?なんで?

一人で恐怖を反芻し、じっとりと汗ばんだ手をハンカチで拭きながら、
「今さっき見たのは、ほんまにあったことなんか? 幻か?」
と、自分のおつむさえ怪しく思い始めていました。でも、本当にあったのです。

料理人かもしれません。よう考えたらね。でも、電車内で包丁を抜くのはやめてくださいや〜。
電車が急ブレーキとかかけて、よろけたりしたらどないしますねん!

あれ以来、幸いなことに二度と電車内でドスも包丁も見ていない。
今後も見たくない。哀れな叔父さんを脅かすのはやめてちょうだい。


2009.5.1

「なんか、色んな目に遭うてるんやね」
ブログの熱心な読者の方から、言われました。いえ、きっと皆さん色んな目に遭うてると思いますけど、忘れておられるのでしょう。
でも、よくよく考えますと、人様よりも少しばかりはいろんな目に遭うてるかも知れん、と思うことあり。

私は、車に2回はねられました。1回ならあるけど、2回もあるとなると、かなり少ないかも。

そうそう、通勤電車の中で、包丁(ドス?)を抜いた方の目の前に立っていたことがあります。
これは、そうとうびっくりしましたし、そんな人には会うたことない、と他の方は言います。
別に「今思い出しても震えが・・・」みたいなことは全然ありませんが、まあ、そのときはビックリしました。

10年くらい前でしょうか。帰りの地下鉄の中(JR直通)。
その時は、それほど混んでいませんでした。いつもは、ほんまに混んでるんですけどね。
私は、入ってきたドアから遠い方のドアの握り棒付近。立ったまま、多分文庫か何かを読んでいました。
わたしの目の前、つまりドアのそばには、丸刈りの20代後半と思われる兄ちゃんが、ドアに右肩を当てて、私のほうを斜めに向く感じで立っています。これも初めから気づいたわけではありません。本から目をあげて何気なく見たときに、そう思ったくらいで、別に異常を感じたわけではないのです。

私が電車に乗ってから、10分少し立ったくらいでしょうか、目の前の彼が持っていた紙袋をごそごそし始めたのです。
「電車の中で紙袋」・・・・・・だから何?
と、思われるかもしれません。でも、まだ「地下鉄サリン事件」の記憶が鮮明なときです。
紙袋の中に、サリン入りのビニール袋。それを傘の柄で刺して、・・・すっかり報道に毒されていますから、思わず兄ちゃんの手元を見てしまいました。

続く


2009.4.30

回転寿司パート3

何も知らんと高い皿を食うところやったヨネやん。ありがたい友人の忠告に、
「持つべきものは友。朋遠方より来るあり 亦楽しからずや」
と、ありがたいお言葉をお話してるのに、
「遠方ちゃうやん。すぐそこやん」
と、文学を解しない友Bの不甲斐なさに、あきらめともつかぬ溜息をつく。

「そうや、ノド乾いたな」
「うん」
「すんません、あがりください」
「どうぞ、セルフサービスになっていますから」
「えっ? セルフサービス? しゃあないなあ」
などと、言っているときに、
「ぼく、ちょっとトイレに行ってくるから」

友人は、トイレへ。

頼みの友人がいないので、またまたあたりを探すと、湯飲みを発見!
「うん、これやな。それで、お茶はどこに?」
魔法瓶があるわけでも、大きな茶瓶があるわけでもなし・・・と。
向こう側に座っている人をさりげなく眺めると、何やらお茶を注ぐ音がします。
「んん? どっからお茶が出てくるんや?」
じっと見ていると、湯飲みをどこかの下に入れているようです。
「ははーん。そうか」
一人納得した私は、自分のテーブルを改めて見ます。
すると、目の前に何やら黒いボタンが・・・。
「おっ? これかな? なにか書いてあるで」
読んでみると、くっきりと次の文字が。

≪このボタンを押してください≫

「なんや? このボタンを押せやと? どれどれ」

次の瞬間、僕はボタンを押していました。
しかも、右手の人差し指で!!!

「あちちちちちち! 熱い!」

「どうしました?」
「火傷した。はよう、水!水!」
椅子まで案内してくれた例の若い衆をせかすと、大慌てで氷入りの水をポットごと持ってきました。

服が濡れるのも構わず、その場でポットから右手に冷水をかけます。
椅子も濡れています。当然ですが。

「あつ〜!」
ちょっとひとごごちついたときに、そう口走りますと、
「どうなさったんですか?」
と、例の若い衆。親方みたいな人も「大丈夫ですか?お客さん」と言いつつ、あきらかに心配しているというよりも迷惑そうな顔。
こっちは、ちょっとムカっときて、
「どうもこうもあるかいな。お茶を飲みたいいうたら、セルフサービスや言うから、見よう見まねで飲もうとしたんや。ほしたら、そこの黒いボタンに書いてあるやんか、≪このボタンを押してください≫いうて。それで、書いてあるとおり、右手で押したらこのざまや」
「このざまやって、お客さん。そのボタンは、湯飲みで押すんですよ。こうやって」
若い衆が空の湯飲みを持ってボタンに押し付けると、「じょろじょろ」とお茶が湯飲みへと入っていきます。
(なんや、そういう仕組みか! 人類の科学はここまで発展していたのか〜。無念・・・)

「まさか、そのボタンを指で押す人がいるとはおもってないのですからねぇ」
責任を問われると不味いと思ったのか、親方らしき人が釘を刺します。
「そうは言うても、知らん人もおるでしょう。現にここに1人おったわけやから」
「まあ、そうですね」

何もかも終わったその頃になって、友人がトイレから出てきました。
「どないしたん。手にタオルなんか巻いて。それに、何かあちこち濡れてるやん。
何かこぼした?」
「ああ、まあ別にどうっちゅうことない」
一部始終を観ていたお店の人やほかの客さんに、また一から離すのは恥ずかしゅうてしゃあない。
ちょっと憮然と、
「もう、出よか」

自分のバカさ加減が一番腹立たしい。
「『押してください』ちゅうのは、湯飲みで押すんか!」
ここで引き下がったら男が廃る。もういっぺん来たろ!
ひそかにそう決意して、多分1ヵ月後くらいにもう一度同じ店へ行きました。今度は一人で。
椅子に座って何気なく、例の、問題の、あの黒いボタンを見ると、「湯飲みで押してください」

≪このボタンを押してください≫という印刷された文字の下に、下手な字で、しかもメモ用紙か何かに書いた注意書きが、貼ってあったのです。
おそらく水濡れの防止でしょう、セロテープが何重にも貼ってあり(ラミネーターなど見たことない時代ですから)、ご丁寧に「湯飲みで」の文字だけ特に大きく、赤い字で書いてあります。

「まあ、わが身を犠牲にして、次なる被害者を未然に防いだのだ・・・」
感慨深く、そのへたくそな字を眺めながら、今日も今日とて、一番安い皿だけ積み上げて行く、夕暮れ時の奈良大和路。

回転寿司の話しこれにて終了とさせていただきます(完)



2009.4.28

回転寿司パート2

オープンしたばかりの回転寿司にやってきた、見るからにお金を持ってなさそうな2人組。
「並んでまで食うほどのモンか?」
と、文句を言いつつ、じっと並んでます。
そうはいうても、回転寿司ですから、じっくり腰を落ち着けて味わう寿司屋とは違いますから、客の「回転」も速い。みるみる列が動きました。
「いや〜、客の回転も速いなあ。さすが、回転寿司というだけのことはある」
「そこは、関係ないとは思うけど、まあ気分がようなってなによりや」

「いらっしゃい!」
若い衆の元気な声に迎えられ、あたりをきょろきょろ。
「待ち合わせですか?」
「いや、なんで?」
「何か探しておられるから・・・」
「あ〜、そうか。『回転寿司』ちゅうのは、なにが回転するんかと思うてたら、皿を載せたベルトコンベアーが回ってんのか!」
「はい、そうです」
「いや、さっきもコイツが、テーブルが回るだの皿が回るだの、あげくに『クイズ・タイムショック』みたいに椅子がくるくるまわるだの、つまらんことを言うもんやから」
「オレちゃうやろ!お前やんけ。それに、椅子が回るとは、誰も言うてない。今、とっさに考えたギャグやんけ!」
「お前なあ、関西人にあるまじきノリの悪さやなぁ。ギャグの一発もかましとかんとアカンあろ、こちらさんとも初対面やし。ねえ?」
「はあ、・・・」

「おい! お客さんをテーブルにご案内せんかい!」

僕らのために若い衆は怒られてしまいました。こっちも、外にまだまだぎょうさん並んでる人に申し訳なくなって、赤面しつつ、小さくなって椅子に座ります。

「お前が余計なことを言うから・・・」
「小さいことを気にすな!」

友人Bをたしなめつつ、
「さて、何を頼むかな? ん? ちょっとお品書きは?」
「お品書きもございますが、今回っているものをぜひどうぞ」
「えっ? ああ、そうか。ここから取るんか。いや、でも待ってや。だれも取らんネタが何週もまわってるかもしれんやん。新しいのがええなあ」
「誰もとらないものは、こちらで処分していきますから。回っているものは新しいですよ」
「ほんまかいな〜?」
疑わしい目を注ぎつつ、あれこれと皿を取ります。その時、友人が叫びました!
「こら、何を高いもんばっかり取ってんねん。お前、お金あんのか?」
「ない。そやけど、『高いモンばっかり』いうて、これが高いって、なんでわかるんや?」
「皿や、皿! 皿でわけとんねん。この皿は、100円。こっちは200円。これなんか、300円もするやつや」
「お前、詳しいなあ。よかったわあ、よう知ってるヤツと来て。ほな、これとこれとこれは返しとこ」
一旦取った皿をまたまたベルトコンベアーに載せます。
「すみませ〜ん。できるだけでいいんですけど、取った皿を戻すはちょっと・・・。他の客さんのこともありますから・・・」
などと、注意を受けつつ、安い皿ばかり重ねていきます。
「そろそろ、お腹一杯になってきたな」
と、言い合っていた頃、「事件」はおきました・・・。

続く


2009.4.27

目新しいモノや、人気のものにはあまり飛びつかないタチです。
ただ、結構お調子者なので、案外巻き込まれていることはありますわね。
しかも、目新しいものは慣れていないだけに、失敗も数々。

先日、「久しぶりに旨い寿司でも食べたいなぁ」と連れ合いと話していたときに、 ふと「回転(くるくる)寿司の悲劇」を思い出しました。

あれは、やっぱり大学生の頃か、卒業して間なしの頃でしょう。
大阪発らしい「回転すし」の店が、奈良大和路にもできました。

 いにしえの 奈良の都の八重桜 今日ここのへ(九重)に 匂いぬるかな

の、あの古都・奈良に似つかわしいとはとても思えない、見たことないハイカラなお寿司屋さん。

「いっぺん、どんなもんか、行ってみよか」
友人Bと連れ立って、早速出かけました。まだまだ、寿司の味などようわからん、 くちばしの黄色いヒヨコが、口だけは一丁前に「ここのネタは、味が悪い」とか評論家ぶっていたときです。
「だいたい、回転寿司って、なんや?」
「寿司が、くるくる回転するらしいで」
「寿司が回転? 皿が回ってんのか? 染の助染太郎みたいにか? 何のためにや? だいたい、食いにくいやんか」
「そらちゃうやろ。皿を載せた、テーブルが回ってるらしいわ」
「テーブルが回る? いよいよ食いにくい。よほどの動体視力が無いと、寿司つかまえられんでぇ」
「なんか、ちゃうこと想像してるみたいやけど、まぁ行ったらわかるやろ」

今でこそネットで色々調べられるんでしょうし、その前の時代は、雑誌で調べることもようあったんでしょうが、それよりもう少し前。
しかもそういうことには(どこが有名な店やとか、どこの服がええとか)とんと無頓着。
なにか、怖いもの見たさで出かけたものです。

「並んでるやん! やめよ」
「せっかく来たのに〜。これくらいええやん!」
「そうかて、並んで食うほどのモンかぁ?」
「そらわからんけど、百聞は一見にしかずや。せっかく、来たんやから、ちょっとくらい並んどこ」
渋々列に並ぶヨネやん。
「なんかなあ」

続く


2009.4.16

今年は、姪とごくごく親しい子どもとが2人とも無事志望校に入学しました。来年は、甥です。

真新しいランドセルを背負い、また大きくて不恰好な新品の制服に身を包み、進級した子ども達もどこか張り切って見える4月。
そんなときに、親子離れ離れになってしまった中学生がいました。カルデロンのりこさん。

ご両親が不法滞在ということで、国外追放されたのですね。法務大臣の腹一つで、どうにかなるのに。
この国は、海外からのそうした人々の労働を抜きにして、もはや成り立たない。
カルデロンさんのように長く、まじめに働いてきた方が、どうして「不法滞在」なのだろう?
「法律に違反している以上、仕方ない」
という意見もございましょう。
でも、例えば政治家と企業の贈収賄事件で、そのように法律どおりに厳しく罰せられたことがあるんやろうか?
やましいことがバレたときに、いつものように繰り返されるあの言葉。

「大切にお預かりしていた。お返しする」

バレなければ、ぽっぽに入れておくのに、バレたら返したからもういい。
そんな屁理屈が通るなら、万引きやら窃盗などという犯罪そのものがなくなりますわな。

「ちょっと、君。カバンの中を見せたまえ」
「えっ?」
「えっ?やあるかいな、万引きしたやろ?」
「このシャープペンですか? 大切にお預かりしていました。お返ししましょう」
「そうですか。ありがとう」
そんなことに、なるんですかねえ。

自転車の三人乗りは、道交法違反です(した)。
それを、法律がそうだからと、片っ端から検挙していたら、世のお母さんたちはどうなります?

男の方で、いまだかつて立小便をしたことない! という方、おられますか? 
これ、軽犯罪法違反でしょっぴくこともできますわね。

法律どおりやけど実態に合わへんから適用せん。法律が間違っているなら変える。
この同じ社会で一緒に暮らし、働き、生活している人を、「不法」と呼んで退去させるなんて! 
血も涙もないですな。
「偽装請負」だの「違法な派遣切り」をしている大企業の幹部の方々(しかも、がっぽり懐に入れている)を、早速法律違反で次次に検挙してほしいもんですね。
それをする気が無いなら、庶民にだけ居丈高に法律を振りかざして押し付けるのは、やめてほしいもんですわ。


2009.4.12

「危うく、入学辞退に!!」第4幕

寝過ごした上に、入学金を持ってらず、「何もかも終わった」状態のヨネやん。

「アカン、もうアカン・・・」茫然自失・・・。
力なく肩を落とした瞬間、目の前の学生課の係りの方が言いました。
「あきらめるのは、まだ早い! しっかりせんかい! ぼく、これだけ持ってるから」
と、財布の中身を見せてくれます。その方が続いて、叫びました!
「誰か、お金貸してくれへんか? この子が入学できんようになる!」

なんと、周りの大学職員やら教授やらに大声で、助けを求めてくれたのです。
「なんや、なんや、どうした?」
次々に人が集まり、くだんの学生か職員さんから事情を聞くなり、「よっしゃ! オレはこれだけある」
「ぼくもこれだけあるで」
なっ、なんと! 次々に、お金を出してくれるやないですか。

「ほんま、すんません」
すっかり青菜に塩。しょぼくれたヨネやん。
世間の風は、冷とうない!
世間様の ありがたさが 身に沁みる奈良の春

その職員さんの親切は、それだけに終わりません!

「よしっ! これで揃うた。後は、手続きや。もう、時間がないぞ。もっと、早う来たらええのに」
「すんません・・・」
もう、小さくなって、一寸法師状態です。
「まあ、ええわ。こっちで、入学手続きしてる間に、他の手続きを済ませてしまお! おーい、みんなこっちに来てくれ!」

ほんまは、番号が釣り下がった机を順番に回って、色んな手続きを済ませてしまわなアカンのです。
そやけど、時間がない。
もともと、ぎりぎりに飛び込んだのに、「あわや、入学辞退」という騒ぎで時間を取り、もう他の手続き所は店じまいを始めています。
番号札を取り払って、机をたたみ、金庫を閉めて・・・。

その人たちが「おーい、みんなこっちに来てくれ!」
という係りの人の声に反応し、次々に私の周りに集まってきました。
「書類をまず全部書いて」
「お金は、いくら持ってる?」
「お金を全部出してくれたら、こっちで清算して領収書を出すから」
「そっちはいくら? お釣りは?」

そら、心無い人が集まってたら、わたしが机の上に残らず出したお金を誤魔化す人もいるかもしれませんし、おつりを間違える人もいるかもしれません。
でも、後で落ち着いて計算したら、1円も狂っていなかったのです。
もちろん、不必要な手続きもしていませんでした。

「みなさん、ほんま、すんません」
ただ小さくなって頭を下げるしかない、18歳の未熟な私。
入学式は、とっくに始まっており、いや、始まっておりどころか、もう終わりそう・・・。

「よしっ!これで、全部終了や。無事、入学できたで!」
「ありがとうございます!」
もう、泣きそうな顔をしていたでしょう。

ほっとして、なんやら頭がくらくらします。
極度の緊張が緩んだせいか、はたまた夕べの二日酔いか・・・。
そして、ハタと気づきます。
・・・さっき、ぎょうさん人が来てくれてお金を貸してくれたけど、誰が、なんぼ貸してくれたんやろか。
しもた、何にもメモしてない。返せへんやんか!・・
・・
「すみません、だれにいくら返せばいいのでしょう?」
「ああ、大丈夫、こっちで控えてるから。僕のところに持ってきてくれたら、後でみんなに返しとくから」

何から何まで。ほんまに、すんません。

こうして、無事大学に入学できたわたし。
あのときの学生課のAさん。ほんまに、ありがとうございました。
Aさんのお陰で、入学できたんです。ぼくを起こして、自転車で運んでくれたB先輩も、ほんまにおおきに。
みなさん、お世話になりました! ありがとうございました。

問題は、そういう人様から受けた親切を、私が他の人にきちんと返せているか、ということです。
その当のご本人はもちろんですが、自分が受けた恩はまた別の人に返して行かんと、人生の帳尻が合わんようになる、と思っているところです。
でも、まだまだ修行がタリン!

さて、その後、大学生協の中にあった公衆電話から母親に電話し、お金の不足と親切な人たちからの借金を報告。
銀行口座も持っていないわたしだったので、次の日早速、なけなしのお金を持って、母と妹が奈良くんだりまでやってきました。
ついでに、男子寮も見学。
この時の記憶から、「ヨネは、入学式に母と妹を連れてきた」と勘違いしている先輩もいたのです。
先輩、その勘違いはおかしいで。
なんでや言うて、入学式の前の日、ぼくにお酒を飲ました一人が、ほかならぬ先輩やから。
1人で、泊まってましたやろ?

こうして入学式の出席しなかったわたしのことを、よーく覚えていて、2年以上後にぼくに雷を落とした教授もおられましたが、その話はいずれまた。

(「危うく、入学辞退に!!」の巻 これにて、全巻の終わりでございます)


2009.4.11

「危うく、入学辞退に!!」第3幕

男子寮に前泊したのはいいけれど、飲みすぎですっかり寝過ごし、あわや「入学辞退か?」という危機に直面したヨネやん。危機を救ってくれた恩人である先輩の自転車に乗せてもらい、「入学手続き」会場に滑り込んだのは、いいけれど・・・。

「あ〜、よかった! 間に合うたで」
ほっと胸をなでおろし、ふと見上げるその先に、見事に咲き誇る桜花。
「いよいよ、大学生活や!」
緊張した面持ちで、入学金支払いの1番窓口に行きます。
(窓口といっても、受付場所それぞれの机の上に、番号がぶら下がっているだけなのですが)

「ちょっと、遅いね」
と、係りの人に苦笑いされながら、言われます。
「それでは、入学金と申請書類を出してください」

おもむろに出したのは、入学金免除の書類。
「お父様がお亡くなりに?」
「いえ、元気です」
「それじゃあ、ちょっと無理ですね。授業料免除と違って、入学金はよほどの事情が無いと免除されません」
「でも、家の収入がこれだけしかないので・・・」
「そうですね、授業料は免除されるでしょう。でも、入学金は無理ですよ」
「えっ? つまり、お金を今ここで支払わないといけないんですか?」
「そうです。でも、君、もしかしてお金がない?」
「そうなんです!」
「それは、こちがえらいこっちゃがな。入学できませんよ」
「ええ〜!!!」
「全然?」
「はい。当然免除になると思うてましたんで」
「それは・・・・・。入学金を支払わないと、入学手続きが出来ないので、入学辞退になるんですよ」
「そ、そっ、そんな〜!!」

この時点で、顔は真っ青になっていたでしょう。
・・・どんだけ苦労して勉強してきたか・・・・
まあ、もともとおできになる方は、それほどの苦労もなく受験を乗り越えるのかもしれませんが、わたしのような凡人は、人一倍努力をしないと。
そんなことが、頭を駆け巡りつつ、
「家に帰って、どないいうて説明したらええんや?」
苦労して大学までやってくれた(はずの)親に合わす顔がありません。

そんなん、大学構内のキャッシュコーナーでおろしたらええのに。
と、若い方は思うでしょう。
しかし、まずキャッシュコーナーが大学構内やコンビニにあったり、そんなことは全くない時代。
いえ、そもそもコンビニが奈良にはなかったのですから。
「東京には、セブンイレブンとかいう、朝早うから、夜遅うまで開いてる店があるらしい」。
そんな噂話を聞いたのも、もう少し後。
次に、自分の口座を持っていない。
これは、根本的な問題だ〜! 自分の口座を持つのは、奨学金受け取りのために、入学後ようやく開設したのだ。
そして、万が一、口座があってカードを持っていたとしても、寝坊のためキャッシュコーナーまで走る時間が全くない!(銀行のキャッシュコーナーは、近鉄奈良駅前にしかない)

「アカン、もうアカン・・・」

果たして、この後どうなるのか? 次回のお楽しみ


2009.4.10

「危うく、入学辞退に!!」第2幕

男子寮の臨泊室に泊めてもらい、入学式に臨もうとした大学入学前の私。
先輩達の歓迎を受けて、お酒を飲み、夢の世界へ。

楽しい夢の世界を打ち破ったのは、またしても先輩だった。

ドドドドド、ガタッ、
「こら! ヨネ、起きんかい!」
まったく、いきなり入ってきて、何やこの人は?
「はい、なんですか?」
まったくの寝ぼけ顔で、頭も起きておらず、霞がかかったよう。
「何ですか? や、あるかいな。今日入学式やろ!」
「えっ? 入学式? 誰の?」
「お前のに、決まってるやないか」
「今日? 僕の入学式?」
どうやら、まだ脳の回路がつながっていないようです。夕べのお酒が残っているのかもしれません。
それでも、昔の真空管テレビが起動するように、徐々に回路がつながってきました。

「えらいこっちゃ! 先輩! すんません、何時ですか?」
「入学手続き、とっくに始まってんぞ! もう、とっくに、行ってるもんやと思うてたんやけど、『もしかして』と心配になってなあ。来てみてよかったわ」
「すんません、おおきに。えらいこっちゃがな〜」

脳の回路が猛烈に動き出します。おそらく、あまりの事態にショート寸前。
入学式くらいで、なにをそんな大げさな、と皆さんは思われるでしょう。
しかし、私たちの頃は、入学式の当日、式の直前にすべての入学手続きを済ませるのです。
入学金の支払いから、何から何までその日に。
つまり、入学式などどうでもええんですけど、入学手続きが出来ないと「入学辞退」になってしまうやないですか!

次の瞬間には、カバンを持って靴を履いています。
「自転車の後ろに乗れや」
「すんませーん」

うちの男子寮は大学のすぐ近くなんですが、大学の正門まで行くのがちょっと大変。
後々、寮から近い大学横手の塀を乗り越えることも多々あり。

先輩の自転車の荷台に乗り、まずは下り坂を一直線!
左へ90度曲がり、平地を一直線。
あっという間に、大学に着きます。

「先輩、何から何まで、ほんま、すんません!」
「そんなんええから、はよ行き!」
「おおきに〜」

と、先輩に手を振りつつ、親切な、いや入学辞退を免れた恩人へのお思いは裁ちがたいけれども、足は鋭く回転し、入学手続き会場へと突き進むのであった。

「間に合うた!」
すでに、人影はまばらなれども、入学手続きはまだ続いています。
「あ〜、よかった! まず、1番目の手続きは、『入学金』の支払いか・・・」

間に合ったというのは、実はとんでもない早合点。一難去ってまた一難。
どこに災難が転がっているか分からないこのご時世。
安心するのは、まだまだ早かったのであーる。
果たして、ヨネやんは無事入学できるのであろうか? 
ヨネやんの運命や如何に?


2009.4.8

桜満開の入学式は、久しぶりちゃう? と連れ合いと話していたのです。
最近は、地球温暖化のためでしょうが、3月中に散ってしまうことも珍しくなく、「桜の入学式」が珍しい。
もっとも、そういう地域に育ったからそんなイメージを持つのであって、もしかしたら「入学式といえば、雪」ということもあるかもしれません。

さて、今日は、その「入学」について。
お題は、「危うく、入学辞退に!!」

大学の入学式こと。
前泊して入学式に臨んだのですが、「旅館をとるほどでもないし、寮に泊まらせてくれるらしいで」と、男子寮に泊まらせてもらったのです。

高校を出たばかりのくりくり坊主が、入学式も済んでないのに1人で泊まりに来たのですから、それはそれは温かい歓迎を受けました。

(え〜、未成年はお酒を飲んだらアカンことになっているのですが・・・)
「どこから? 兵庫県? オレもや」
みたいな感じで、先輩方が次々と部屋にやってきます。手に手に酒を持って・・・。
「まあ、一杯行けや」
「はい、ありがとうございます!」

何せこの頃は、自分の酒の限界を知りませんから。「限界」を知らん、ちゅうのは、ほんまに恐ろしい。これは、部活動でも、車の運転でも、悪ふざけでも、同じやと思いますね。

どれだけなら飲める、これくらいの酔いやったら大丈夫、これ以上入れたらアカン、という体の限界・・・。
この日から、そう日を経ずして、まさに実感しようとは、まだこのときは気づいていない。

「なかなか、行けるやないか」
「いえ、そんなには」
などと言いつつ、同郷の先輩とのふるさと談義から、大学の講義のことから、クラブ活動の勧誘から、何から、話に花が咲き、酒もすすみます。

その内に、一人の先輩が、言います。
「おい、ヨネ。そろそろ、やめとけ。明日、入学式やろ?」
「はい、そうですけど・・・」
別の先輩は、
「大学はすぐそこや。大丈夫やって」
「いや、アカン。これくらいに、しとこ」
入寮後は、ついぞ聞かなかったであろう、「これくらいに、しとこ」という、自制の念が働いた、理性的なお言葉を頂戴し、そろそろお開きに。

「ほな、明日、がんばりや」
「はい!」

先輩方が部屋を出て行き、臨泊室の布団(前にお話した、決して綺麗とはいえない布団を敷いて、
「あ〜、おもろかった。寮生活が楽しみや」
と、呑気なことを(まだ現実を知らず・・・)思いながら、すぐに眠りの中へ。

しかし、これはまだ嵐の前の静けさ、ほんの第一幕なのであった・・・。
(続く)


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